レッドソックスファンの好事家ブログ




イアン・キンスラー


2000年、アリゾナ・ダイヤモンドバックスから29巡目でドラフト指名を受け、これを拒否パー、契約には至らず。翌2001年 、再びダイヤモンドバックスから26巡目でドラフト指名を受け、またも拒否。パー

アリゾナ州立大学在籍時のチームメイトには、同じ二塁手のダスティン・ペドロイア が在籍。

ミズーリ大学編入後の2003年、ビッグ・テン・カンファレンスで活躍。6月3日 、テキサス・レンジャーズから17巡目でドラフト指名を受け、6月24日に契約成立。この年からマイナーリーグでプレーを始める(51試合出場)。

プロ2年目の2004年は、A・AA級トータルで の好成績を挙げ、9月1日 にはミッドウェスト・リーグのオールスターに出場。33個もの失策を犯したが、ベースボール・アメリカ誌本のマイナーリーグ・オールスター2ndチームにも選出され、レンジャーズ内のマイナーリーグ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー 。12月15日、レンジャーズの有望株リストで4位にランク。

2005年 はAAAにステップアップ。アップ着実に成長。前年同様失策が多く、20個犯したものの、7月13日にはパシフィック・コースト・リーグのオールスターに出場。シーズン終了後、ベースボール・アメリカ誌本のプロスペクト・リストで6位にランク。


2006年は、ワシントン・ナショナルズへ移籍したアルフォンソ・ソリアーノ の後釜として、4月3日の開幕戦でメジャーデビュー。二塁手でスタメン出場し、カート・シリング からキャリア初安打となるライト前ヒットを放つなど、2打数1安打1四球の好結果。その後8試合で打率4割7分6厘とロケット・スタートDASH!を決めたが、4月12日 に左手親指を痛め故障者リスト入り 病院。約1か月半戦線離脱したがその後は持ち堪え、120試合に出場し、121安打、14本塁打、11盗塁を記録。新人選手が100安打、10本塁打、10盗塁を達成したのは球団史上初の快挙

2007年は、4月15日のプレイヤー・オブ・ザ・ウィークに選ばれるなど、4月だけで9本塁打、22打点と打棒爆発。前年同様のロケット・スタートロケットを決め、6月19日からは一・二番打者として起用 。ところが6月28日に左足を痛め故障者リスト入り。病院約1か月戦線離脱したこともあって、次第に息切れ。不安定な守備も相変わらずであったが、彼はまだ修行中、実力は本物」ロン・ワシントン 監督 もポテンシャルの高さには一目置いていました。また、目標としていた長打率アップを実践して見せ、球団史上7人目となる20本塁打、20盗塁を達成。ボールの見極めが上達し、出塁率はアップ。特に一・二番として起用された試合の出塁率はそれぞれ.390と.389 、盗塁成功率も92パーセントと、チャンスメーカーの重責を果たします。翌2008年2月19日 、5年間の長期契約が成立。お金


5年契約1年目の2008年は開幕戦から一番に定着し、5月16日から6月4日まで19試合連続安打を記録、更に6月17日からは両リーグ最長となる25試合連続安打をマーク。前半戦を首位打者で折り返し、オールスターゲーム初出場(5打数1安打1盗塁)。その後腰痛を患い、手術を受けたため、8月17日を最後に早々にシーズン終了も、打率3割1分9厘、得点圏打率4割1分3厘、102得点、26盗塁と多くの部門でキャリアハイを更新。開幕前に「今期からはボクがチームリーダーになります」と高らかに宣言したのに恥じない数字を刻み、トム・ヒックス・オーナー「彼は若くして見事なリーダーシップを発揮している」合格と喜ばせます。喜ばせなくてよかったんですけどね、こんな馬鹿オーナーbyリバプールFCファン 2009年4月15日にサイクルヒットを達成、その試合で6本のヒット。サイクルヒットと6安打の同時達成は、119年ぶりの快挙。30本塁打&30盗塁も達成。クラッカー

ボールをハードに叩き、ギャップ打ち抜くパワフルな打撃を最大の武器。特に得点圏において打率3割2分3厘。その上、出塁能力が高く、スピードと盗塁技術を兼ね備えた優秀なベースランナー。守備においては、3年間合計(2006-2008)でアメリカン・リーグ・ワーストの53失策 を犯しているものの、俊足を飛ばして広い守備範囲を誇ります。一方、「162試合フル出場するには耐久力が欠落している」と指摘する声があるように、課題はリスク管理と健康維持ドクロ


2009年は31本塁打&31盗塁の30-30を達成ワシントン監督からは「スイングが速くなった」ことを本塁打量産の理由に挙げられ、マイケル・ヤング からも「30-30は特別な記録。偉大な選手の一人となった」と祝福されるも、本人は2割5分3厘に終わった打率が不満らしく「ヤングのようなコンスタントなバッティングが目標」と向上を誓います。

2010年は怪我で103試合の出場に留まります。出塁率は3割8分2厘とキャリアハイ。

2011年は打率2割5分5厘、32本塁打、77打点、30盗塁と2度目の30-30達成クラッカー。守備でもチームに貢献するなど、素晴らしいシーズンとなりました。

2012年、2013年から5年総額7500万ドルで契約延長お金!打率2割5分6厘、19本塁打、72打点、42二塁打、5三塁打、21盗塁。持ち前の守備ではやや不安定なシーズンでもありました。




マイケル・ヤングからチームリーダーの座を譲られるのはキンスラー以外ににいないでしょう!そのためにも、怪我をしないコンディション、それさえあれば通年で結果を出せる選手です。コンバートの噂もありますが、アリゾナ州立大学時代のチームメイト、ダスティン・ペドロイアと競って、攻撃型二塁手として成長してほしいです。


<最終更新日 2013年6月16日>