サンディ・アロマー・ジュニア
父はサンディ・アロマー・シニア、弟はロベルト・アロマー 。
父サンディー・シニアがコーチを務めていたサンディエゴ・パドレスに弟ロベルト共々入団。 捕手として大いに期待されるが、当時パドレスには名捕手ベニート・サンティアゴがおり、なかなかメジャーでの出場機会に恵まれず、ジョー・カーターとの交換で、カルロス・バイエガと共にクリーブランド・インディアンスに移籍。
1990年にはオールスターにファン投票で選出されて先発出場。 新人捕手のオールスター先発出場は史上初。 この年、132試合に出場して打率2割9分、本塁打9、打点66の成績を残し、守備面でも活躍し、ア・リーグ新人王とゴールドグラブ賞を受賞。![]()
以後数年間は故障が多く、欠場がち。
チームが41年ぶりにワールドシリーズに進出した1995年も66試合の出場。 1996年には6年ぶりに100試合を越す127試合に出場し、オールスター出場。 翌1997年には30試合連続安打を記録し、自己最多となる打率3割2分4厘、21本塁打を記録。 本拠地ジェイコブス・フィールドで開催されたオールスターでは、決勝本塁打を打ちMVPに選出。開催地のチームの選手がMVPとなるのは1972年のハンク・アーロン
(ブレーブス)以来。 ニューヨーク・ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでも2本塁打を含む打率3割1分6厘の活躍。 チームをワールドシリーズ出場に導きます。シリーズはフロリダ・マーリンズに敗れたが、アロマーは打率3割6分7厘、2本塁打を記録。 6度目のオールスター出場を果たした1998年を境に、再び故障がち
となります。
2001年にはシカゴ・ホワイトソックスに移籍。 2002年途中にコロラド・ロッキーズに移籍するが翌年再びホワイトソックスに移籍。 2003年途中に弟ロベルトがホワイトソックスに移籍してきて、インディアンス時代以来3年ぶりに兄弟が同じチームの所属となったが、それは2004年途中にロベルトがアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍するまで。 弟ロベルトは2004年限りで現役引退したが、2005年はテキサス・レンジャーズに移籍。 2006年はロサンゼルス・ドジャースとホワイトソックスに所属。 2007年は父シニアがコーチを務めるニューヨーク・メッツに移籍。 2008年現役引退後はニューヨーク・メッツの捕手コーチを歴任。
捕手として長くプレーしたサンディ・アロマー・ジュニア。名捕手を次々と送り出すプエルトリコの代表的な選手の一人と言えるでしょう!
