レッドソックスファンの好事家ブログ




ゲイロード・ペリーは、スピットボール(不正投球の一種)で有名な投手。1983年に45歳で引退するまで22シーズンで8球団を渡り歩き、314勝を挙げた。

1958年、サンフランシスコ・ジャイアンツと契約し入団。1962年4月14日にメジャーデビューし、1968年9月17日セントルイス・カージナルス戦でノーヒットノーランを達成。

3歳年上の兄ジム・ペリーも通算215勝を記録。兄弟の勝利数は合計529勝で、これはフィル・ニークロ ・ジョー・ニークロ兄弟の539勝に次ぐ記録。インディアンス時代の1973年7月3日、当時デトロイト・タイガースに在籍していたジムと一度だけ投げ合い、タイガースが5対4で勝利、弟のゲイロードが敗戦投手。

1972年にはアメリカンリーグのクリーブランド・インディアンスで、1978年にはナショナルリーグのサンディエゴ・パドレスでサイ・ヤング賞を受賞し、史上初の両リーグでの受賞。また兄のジムミネソタ・ツインズ時代の1970年に受賞しており、史上初の兄弟受賞。

1977年、サイ・ヤング、ジム・バニングに次ぐ史上3人目の両リーグ100勝を達成。1978年10月1日のロサンゼルス・ドジャース戦で、ウォルター・ジョンソン、ボブ・ギブソン に次ぐ史上3人目の通算3000奪三振を達成。1982年5月6日には、ニューヨーク・ヤンキース戦で史上15人目の通算300勝を達成。また、1966年から1978年まで13年連続で15勝以上。

1991年に野球殿堂入り。

2005年に自身の背番号『36』がサンフランシスコ・ジャイアンツの永久欠番に指定。


メジャー史を代表するスピットボーラーであり、ボールにワセリンやポマードをつけ、時には紙ヤスリで細工して投げていたらしいです。しかし誰も証拠を掴めなかったため、引退前年の1982年8月23日に通常考えられない変化球を投げてついに退場処分になるまで一度も退場処分になったことはありませんでした。

1970年春にジャイアンツが来日し、日本各地でオープン戦を行ったが、日本でもスピットボール(唾や松脂をボールにつける)やエメリーボール(やすりでボールに傷をつける)を投げた跡がボールから見つかりますが、審判はまるで気がつかず、「さすがは達人」と唸ってしまうほど・・・。叫び


引退後には、新聞記者ボブ・スーダイクとの共著で自伝『私とスピットボール』を出版。本「通算300勝を達成した時にはボールに歯磨き粉をつけて投げていた」等と現役時代のスピッターぶりを告白。また、自身が反則投球に使用したワセリンを販売する会社を経営。


スピットボールを投げていたのは事実ですが、常に投げていたわけではなく、投げるように見せかけていたことも事実のようです。相手打者が何とかペリーの不正投球を見破ろう目としているのを見て、ペリーは帽子に手をやったり、ユニフォームを触ったりと怪しげな行動を・・・。それを見た相手打者はいよいよ・・・。で、ピッチャーを打つことに集中させなかったという逸話も残っています。


ステロイド問題で揺れる球界。スピットボールはどうなんでしょうか?彼が殿堂入りしたのなら、まだ罰則が設けられていない時期のステロイド使用者や罰則を受けた使用者は殿堂入りしてもいいと思うのですが・・・。