デービッド・ウェルズは、プロレスラーのような体型で、見た目はパワーピッチャーのようですが、カーブを主体としたメジャートップクラスのコマンドを持っています。それを証するものとして、9イニングあたりの四球数が1を割り込むシーズンも。完全試合を記録。
1982年、ドラフト2巡目で指名されトロント・ブルージェイズへ入団。
1990年に3年ぶりに先発登板し、以後先発ローテーション入りした。
1993年はレギュラーシーズン開幕2日前の4月3日にデトロイト・タイガースへ移籍。4月は4勝0敗・防御率1.47の好調なスタートを切り、6月19日までの成績は9勝1敗・防御率2.68だったが、故障者リスト入り。
1994年は4月20日に故障者リスト入りとなった。6月4日に復帰を果たし、ブルワーズ戦でメジャー初完封を記録。
1995年 シーズン途中の7月31日にシンシナティ・レッズへトレードで移籍。2チームで自己最多の16勝を記録した。12月26日にトレードでボルチモア・オリオールズへ移籍し、11勝14敗を記録 。オフにFAとなり、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、ベーブ・ルースの背番号3を要求したが、永久欠番のため33番に。6月8日のインディアンス 戦では、オークションで競り落としたルース実使用のキャップをかぶって登板。同試合の1回終了時に、当時のジョー・トーリ監督に見つかり、3回で降板 。
1997年7月19日のブルワーズ戦で3年ぶりの完封勝利で通算100勝を達成し、初回には通算1,000三振を達成した 。7月30日のアスレチックス戦ではロン・ギドリーの18に次ぐ球団史上2位タイ、自己最多の1試合16個の三振を記録。
1998年5月17日 、史上15人目の完全試合を達成し、前後の3試合で38人の打者を抑え、リーグ新記録を樹立。オールスターでは先発投手を務め、18勝4敗、防御率3.49、リーグトップ5完封を記録した。2回目のワールドチャンピオン。シーズン終了後、ロジャー・クレメンスとの1対3の交換トレードで古巣のトロント・ブルージェイズへ移籍。
移籍1年目の1999年は自己最高の231.2回を投げ、17勝10敗・169三振を記録し、三振数は左投手として球団史上歴代1位。自身初の20勝を37歳124日で達成した。これは史上2番目の高齢記録。
シーズン終了後トレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。しかし、故障のため5勝7敗の成績に終わり、7年ぶりに投球回数が200を下回ります。2002年 、再びニューヨーク・ヤンキースへ移籍。チーム最多の19勝を記録。
我が強くトラブルメーカーとして有名で、頻繁に移籍を繰り返している事の原因にも・・・。2003年に、好成績を挙げながらもニューヨーク・ヤンキースをクビになっているが、それはウェルズが、ヤンキースのチーム内の様々な事柄を暴露するような本を出版したから。特にロジャー・クレメンスの事を見下したように書いた事そう。その時にウェルズには、10万ドルの罰金
また、練習熱心なことで知られるロジャー・クレメンス 、アンディ・ペティット両投手を皮肉って、「彼らは『コンディショニングで20年間メジャーで稼ぐ方法』といった本やビデオを作ることができる。だが、オレは『練習しないで20年間プレーできる方法』を書くことができるんだ。」と発言したことも・・・。
2003年には、「オレはゴムのような腕を持っている。あまり練習する必要はないんだ。」と・・・。
2003年レギュラーシーズン最後の登板となった9月28日 、通算200勝を達成。シーズン終了後サンディエゴ・パドレスへ1年契約で移籍。
2004年は12勝8敗、防御率3.73の好成績をマークし、2004年12月11日2年契約でボストン・レッドソックスへ移籍。移籍1年目の2005年は15勝7敗ですが、防御率が4.45と大幅に悪化。2006年8月31日、トレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍。この年は故障に苦しみ、3勝5敗に終わるも、オフに1年300万ドルで契約。2007年8月、 ロサンゼルス・ドジャースへ移籍。
ウェルズはベーブ・ルースの熱狂的なファンであり、あだ名の「ブーマー」の由来も、ベーブと同じく”赤ん坊”を意味しているそうです。
ウェルズは「ベーブ・ルースはオレにとって最初の本物のヒーローになった。彼は投手もできて、打つこともできて、それにホットドッグを17本食べられた。大いに食べ、タバコ
を吸い、酒
を飲み、たくさんの愛人
を囲っていた。これほど愛すべき人間はいないだろう。」とルースに対する自身の見解を述べています。
自分をコントロールすることは不得手でも、ボールをコントロールすることにかけては一級品だったデービット・ウェルズ。完全試合を達成できたのもそのコントロールのおかげでしょう!どこか人間臭さがある投手、いいですね。