ボストン・レッドソックスの誇るべきOBとして紹介するには賛否両論あるでしょう。

名投手として紹介するにも賛否両論あるでしょう。それでも、この投手を紹介しないわけにはいきません。

ロケットロケットことロジャー・クレメンス投手です。


100マイルに迫る豪速球とテキサス州ヒューストン(NASAの基地が近い)で生まれ育ったことから、「ロケット」と呼ばれます。


テキサス大学で大活躍した(全米大学野球選手権優勝)クレメンスは、1983年のドラフトでボストン・レッドソックスから1位指名を受けます。84年には早くもメジャーデビュー。

1986年には24勝4敗、防御率2,48の大活躍で先発投手としては珍しいMVPに輝きます。往年のホームランキング、ハンク・アーロンが「先発投手にはサイヤング賞があるし、野手と違って1週間に1度しかプレーしないのにMVPはおかしい」と発言しますが、これに対しクレメンスは「彼がまだプレーしていたらよかったのに。頭にぶつけて俺の価値を見せてやるのに」と言い返します。同年、初のサイヤング賞を満票で受賞。以後、、1987年、1991年、1997年、1998年、2001年(ここまでAL)、2004年(NL)と史上最多の7回の受賞歴を誇ります。


また1試合最多奪三振の記録保持者でもあり、9イニング20奪三振です。ケリー・ウッドランディ・ジョンソンも達成していますが、クレメンスは2度20奪三振を(1986年と1996年)記録しています。


ボストン・レッドソックス在籍時に獲得したタイトルは次のとおり。

最多勝:2回 1986年(24)、1987年(20)

最優秀防御率:4回 1986年(2.48)、1990年(1.93)、1991年(2.62)、1992年(2.41)

最多奪三振:3回 1988年(291)、1991年(241)、1996年(257)


しかし、96年オフに当時のジム・デュケットGMから「彼は絶頂期を過ぎた」と言われ、レッドソックスから放出。

レッドソックスで挙げた勝利は192勝であのサイヤングと並んで球団記録。背番号21は永久欠番になってはいないものの、クレメンスレッドソックスを去ってから付けた選手はいません。




そう、クレメンスの放出は大失敗だったのです。1997年からトロント・ブルージェイズでプレーしますが、サイ・ヤング賞、20勝、そして投手3冠(勝数、防御率、奪三振)


1998年オフ、トレードで何とニューヨーク・ヤンキースに移籍。


2000年のシーズンにはメッツピアッツァの頭に死球を与えてしまう。そしてそのシーズンでヤンキースメッツがワールドシリーズで対戦することになると、この2人の因縁に注目する人が多数・・・爆弾

クレメンスが先発登板した第2戦のピアッツァの第1打席ではバットが折れ、その部分がクレメンスに向かって飛んできます。クレメンスはそれを拾い、何とピアッツァが走っていた一塁線に向かって投げつけた。バットの破片はピアッツァには当たらなかったものの、両軍のベンチが飛び出し大乱闘に。パンチ!クレメンスは後に、彼は破片をボールと間違えて投げたと述べましたが・・・。


2003年の序盤にクレメンスはシーズン後の引退を発表。ヤンキー・スタジアムでのセントルイス・カージナルス戦で300勝と4000奪三振をを同一試合で達成。。300勝を挙げたのは史上21人目であり、4000奪三振はノーラン・ライアン、スティーブ・カールトンに次ぐ史上3人目。この試合はテレビで見てましたが、雨が降っていて「早く試合が成立しろ」と思っていたのを覚えてます。あせる



クレメンスは結局引退を撤回し、故郷テキサスのヒューストン・アストロズと1年契約をに結びました。これは、地元の家族とそばにいるためと、同じくヤンキースから移籍したアンディ・ペティットともう一度野球をやりたかったから。同年5月5日には4137個目の三振を奪い、歴代最多奪三振でライアンに次ぐ2 位。この年18勝4敗をマークし、通算成績も328勝164敗に伸ばした。また、歴代最多(7度目)、最年長(42歳)、最多球団(4球団)でのサイ・ヤング賞受賞を達成。


家族との時間を望んで居住地のアストロズと契約した経緯があり、契約内容には「登板しないホームゲーム時には、チームに帯同しなくてよい。」、「登板しない遠征には同行しなくてよい。」が付け加えられています。息子の少年野球を見に行って、観客席から審判にクレームをつけて、審判から退場を宣告されたこともあったとか(試合後にクレメンスが審判に謝罪している)。どこまで熱いんでしょうか?この男・・・。メラメラ


強いプロ意識と厳しい鍛錬に裏打ちされたパワーと技術は高い評価を得ている。多くの投手がクレメンスに憧れ、手本としている。同時に短気と荒い気性でも知られ、ビーンボール(故意の死球・危険球)を投げることで有名。


クレメンスは。奥さんの遊びの野球をやっていたとき、奥さんにジャストミートされた球の次の球は何とビーンボール。また2006年の春季キャンプ、WBCのための調整でマイナーリーグに登板した際に息子のコービー・クレメンス(当時1Aの選手、2005年ヒューストン・アストロズに8位で指名され入団した。)に本塁打をされると、やはり次の打席での彼に対する初球はビーンボール


三振には特に強いこだわりがあり、4人の子供の名前の頭文字はいずれもスコアブックで三振を意味する「K」となっています。(コービー(Koby)、コーリー(Kory)、ケイシー(Kacy)、コーディー(Kody))。


クレメンスの持ち球は150キロ台の速球とよく落ちるスプリット。たまにカーブ、スライダー手裏剣日頃からの節制・鍛錬は有名です。クレメンスの自宅のトレーニング施設が公開されたことがありましたが、日本の高級スポーツクラブ顔負けです。アメリカンフットボールに使われるボールを用いたクロス・トレーニングも行う事も知られています。



何故、冒頭で「ボストン・レッドソックスの誇るべきOBとして紹介するには賛否両論あるでしょう。」と書いたかはお分かりですね?ブルージェイズを経由しているとは言え、レッドソックスのエースがヤンキースに行くなんて・・・。

そして、ミッチェルリポートに詳細に薬物使用について掲載されていることから「名投手として紹介するにも賛否両論あるでしょう。」と書きました。


しかしながら、私はステロイドがもたらす好影響については懐疑的です。ステロイド使っただけで勝てる、打てるのなら俺だって・・・。ステロイド使って、守備が上手くなったという話を聞いたことがないんですが、何故?そして、禁止薬物禁止になったのはいつから?


速い球を投げれるだけじゃダメなんです。コントロールが必要。当たれば飛ぶと言ったって、当たらなきゃ飛ばないんです。それもフェアゾーンに飛ばさないと・・・。


マグワイアもソーサもパルメイロもボンズもクレメンスも殿堂入りすべきだと思いますね。王冠1賛否両論あるでしょうが・・・。



クレメンスの生涯成績は354勝184敗、4672奪三振、防御率3,12です。


・アメリカンリーグ・MVP1回

・アメリカンリーグ・サイ・ヤング賞 6回

・ナショナルリーグ・サイ・ヤング賞 1回

・最優秀防御率 7回

・最多勝利4回

・最多奪三振 5回



本当に一時代を築いた素晴らしい投手だったんです。!!