これが最後です。ちょっと長くなりましたが「退院の日 中編
」の続きです。
潤んだ顔を母に悟られたくなくて、「・・・ちょっと」と僕はトイレに逃げた。鏡を覗いてみたが、顔を洗わなければならないほどではない。目をパチパチさせたりしばたたかせたりしてそこをほぐし、クビをぐるりと二度三度回した。手を拡げて思い切り伸びをしたら思わずアクビが出てしまい、しょうがないから無理に小便をした。今朝の7時過ぎに寝たのに拘わらず、9時に起き出して病院に来ている。眠いのが当たり前ではあったのだが。
荷物は既にまとまっていて、父はいつでも帰れる状態でベッドに座っていた。あとは入院費用の清算をしたら終わりなのだが、いくら払ったらいいかの明細が事務の方から上がってくるにはもうしばらくかかりそうだ。僕は済ませなければならない用事がほかにあったし、先に出る事になった。着替えなどを詰め込んだ紙バッグを両手に持って、僕は父と母を置いて病室を出た。「じゃぁ行くから」
僕はナースステーションの前を通りかかった時、ひと言お礼を言うべきだと思った。確かに、今回の入院では父を初め、僕も母も医療者側に対して少なからず不満足な思いがあった。少しでもよくなって欲しいこちらの思いに応えてくれたとは言い難く、もうだめなのだと確認させられた入院。とはいえ、父が虚言を吐いたり徘徊したりした夜などは、病院スタッフの方にはかなり迷惑をかけた様子だったし、医療・看護行為そのものに何ら不満があったわけではない。つまりは、父の状態がどん底で、僕らはちっとも笑えなかったし、そんな気分でいる為にむしろ八つ当たりをしていただけかもしれない。もう入院した段階でどうにもならない状態だったのだ。そんな中で、やれるだけの事はやってもらったのだ。
足を止めてステーション内を見渡したが、みな忙しくしていて、また担当医師の顔も既にそこにはない。僕がどの入院患者の付き添いなのかはわからないと思うが、荷物を抱えたその姿でお礼を言えば「あぁ退院するんだな」くらいは察しがつくだろう。
「お世話になりました。ありがとうございました」と、このふたつの言葉を頭に浮かべた時、しかし、僕はそこで下を向くしかなかった。
言えなかった。
熱いものが途端に上がってきて視界が濡れて、言葉を発する事なんて出来なかったのだ。僕はそそくさとエレベーターの前まで来たが、やはり言うべきだと気持ちを抑え、踵を返して・・・やはり言えなかった。言える状態ではない。どうしようもなかった。堪えるので精一杯だった。「ありがとう」とか「感謝」とか、頭に思い浮かべただけで、もう・・・。
帰りの車の中でFMラジオが流れていた。チャゲ&飛鳥の古いナンバーだ。曲のタイトルはわからないが、聞き覚えはあった。
あなたの足音 北風に消えた ふたりを結んでた愛の糸は切れたのですか・・・
・・・鏡を覗いたら愚かな顔が見えた
ひとり遊びに慣れてはいないのです 心の行き場をうしないました
涙ばかり涙ばかりあふれてきてこまります かなしくてもかなしくても泣きたくはないけれど わかれたあの日の風が吹きます
あなたの呼ぶ声 北風がまねる いたずらと知りつつ何故かふと胸さわぎ
風に応えようと扉を開けてみれば そこにあなたが あなたがそこに
涙ばかり涙ばかりあふれてきてこまります 幸せなら幸せなら泣いてもいいでしょう
あなたは微笑み愛を抱えて 愛を抱えて
どうしようもなく涙があふれた。
「肝臓ガンか肝硬変か、いずれにしろそのどちらかで亡くなります。もう・・・時間の問題・・・と言っていいと思います。」
医者はさじを投げた。
父は退院するが、ほとんど治らずにあきらめての退院だ。病院での窮屈な時間を過ごすより、家族と共に住み慣れた我が家でその時を迎えるのだ。
東京から実家に戻って約10年。世帯主である父がその命を終えようとしている。焼肉店の経営はほとんど僕に依存した状態になり、母もとうに引退していい年齢。一家の売上げを支えるのは焼肉店からの収入であることを考えれば事実上、家計の柱は僕になる。しかし、ウインドウに映る愚かな自分の顔を覗くと、とてつもない不安におそわれる。精神的な支えを失う。
小さい頃から、僕は父の背中を見て育った記憶がほとんどない。何かを教えてもらったとか、例えばキャッチボールの相手をしてくれたとか、そういう記憶は皆無だ。父はいつも仕事でいなかったし、休みの日はひとりで釣りに出かけ、町に買い物に行く時は母とだった。家族の食事の中で会話は数える程度しかないし、父はいつも怖い存在で、何かにつけて怒られる心配を抱えて、いつも腫れ物にさわるような気持ちで接していた。父はいつも晩酌を欠かさず、そういう酒臭い父を僕は嫌って避けていた。心の中で「父のような大人にだけはなりたくない」とさえ思った。実際、尊敬の対象などとは考えた事もなかった。しかし、その父を失う事でこれほど不安にかられるとは思いもよらなかったのだ。
父にお礼を言いたくても、いったい何に対して言えばいいのかがわからない。僕の選んだこれまでの仕事は全て自分で考えた結果だし、父がしてきた職業とはまるで異質なものばかりだ。教えを受けた事など一切ない。しかし感謝の気持ちはもちろんある。うちは裕福な家庭ではなかったが、少なくとも高校までの学費や生活費は父が稼ぎ出し、ごく普通に健康な身体で今を迎えている。大きくしてもらった恩はある。
その父に、今の僕は恩返しが出来ているんだろうか?胸に手を当てて考えてみても、答えはノーだ。もうとっくの昔に隠居していい身体だった父に、「もう働かなくていいよ」と言えたか?言えなかった。少しでも家計が助かるようにと、父は出来る限り働きに出ていた。その事が死期を早めたに違いない。「もう一人前だ。いつまでも子ども扱いするな」とくちばっかり達者で、そのくせ何ひとつ満足な事は出来なかった。
「次の正月はひょっとしたら迎えられないかもしれません」
前回(2005年2月)退院する時、父以外の家族だけは医師にこう言われている。
だから覚悟は出来ているはずだった。しかし、少なくとも僕の中では「それはもっと先の事で、今考えなくてもいいこと」とたかを括っていたわけだ。
今日、やっとそういう思いに僕は達した。