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介護保険のおかげで、家の中の父は以前より楽に過ごせるようになった。

しかし、それにも増して父の容態は悪化していた。

ある日、また粗相をやらかした父は姉に世話をしてもらっていた。後始末をする姉がトイレの隣りにある洗い場でパンツを洗ったりおしめを始末していたら、便器に座る父が独り言のように呟いたという。

「お父さんは・・・もう・・死んだ方がよかとかなぁ・・・」

「・・・ほらほらぁ。またおかしか事ばいいよるねぇ。・・・まだ夢の中におるばいねぇ?」

姉は雑巾を洗いながら、涙がとめどなく溢れて困ったそうだ。

また、台所で母と二人でいる時に、ぼんやりテレビを眺めながら、父はこんな事を言った。

「お母さん・・・今度結婚する時は・・・俺はやめとけね。もっとよか男ば見つけろよね」

母は聞こえない振りをしたそうだ。


退院した時もそうだったが、父はそれより尚痩せていった。食事をろくに摂れないのだからそれも当然だろう。そうして痩せていく上半身に反比例して、父の下腹部は次第次第に膨れ上がっていった。腹水だ。初めのうちは、この腹水を「抜いてもらう事」を考えていた。しかし、この腹水は抜けば抜いただけもとの状態に戻るのだそうだ。そして、その後は倍返しでもっと多くの量に増量するケースがあるという。入院しているのなら、その量に合わせて頻繁に抜く事も可能だろうが、自宅にいる父の場合、迅速にそれが出来るわけではない。へたに量が増えると、容態急変ののち、危ない状態に陥らないとも限らない。見た目は確かにギョッとさせられるのだが、本人はそれによって苦しんでいるわけではなさそうで、従って抜かない方がベターだそうだ。腹だけ見れば、ほとんど「平成狸合戦ぽんぽこ」を思わせる状態だった。


ある日の夜、僕が仕事を終えて家に帰った12時半頃、父は台所にじっと座っているのだった。見ると、手にバナナを握り締めている。

「ただいま・・・バナナ・・・食べるの?」

「近頃のバナナは硬かなぁ。・・・むけんぞ」

「どら、貸してみ?むいてやるけん」

僕は父の手からバナナを取り上げ、むいてやる。

「おぉう、全部はむくな。少しでよか」

ほんの一口でいいと言うので、半分ほど剥いてから渡したが、父はそれをじっと見つめたまま動かない。「食べんとね?」

「なんやら・・・匂いかいだら食べとうなくなった・・・もう寝る」

おそらく、匂いが吐き気をもよおしたらしく、結局一口も食べられなかった。こういう状態は母や姉から聞き及んではいたものの、もう、父が食事を摂れない状況というのは、かなりの深刻なレベルに達しているらしい事が知れた。夕方の仕込をしている最中に、丸ボーロとか、ヤクルトとか、割合に甘いものを食べたいと言って電話してくる父。食べたいときに食べさせてやりたいから誰かが仕事を中断して家まで買って持っていくが、そういう食事が父には実に貴重なものになっていた。


続く

前回の記事はこちら です。


二月に入ると、父は急速に衰えを見せ始めた。

父の時間は、僕らの5倍ものスピードで流れているように思われた。何かの記念日に奮発して買った1足3000円の靴下だって、それは洗濯するたびにいつの間にかだらりとしなびていく。もちろん父は生きているのだし、細胞は日々生まれ変わると聞く。しかし父の中にある生命のともしびは、その病魔によって次第次第に蝕まれていっているように見えた。

僕ら家族の心配は、父に食欲がない事だった。朝はみそ汁を一杯やっとの思いですするだけだし、昼はバナナとか、果物をようやく口にするに過ぎなかった。夜は、何かしらのおかずを母が準備して店に出るが、いったい何を食べたのやら、そのおかずはほとんどそのまま手をつけられていなかったりが続いた。姉によると、ご飯を茶碗に半分食べるのがやっとで、あとは欲しくないのだという。いや、全く欲しないわけではない。食べ始めると欲しくなくなり、時折は吐き気をもよおして、それ以上食べられないらしい。


その頃、父は伝わり歩きがひどくなり、布団から起き上がるのにも誰かの助けが必要な状態に陥り始めていた。また、風呂にも一人では入れなくなっていた。我が家の風呂はお湯を足して入るタイプだが、その際は浴室内にあるノブをめいっぱい熱くする必要がある。

父は言った。「ノブが壊れとる」「回らんぞ」「○○を呼んで明日修理して貰え」

ノブは壊れてなどいない。そのノブを回す力が、父にはもうないのだった。だから、父が風呂に入る時は誰かがお湯の調節をする為に付き添う必要があった。

母が誰から聞いてきたのか、「介護保険の認定を受けてみたらどうか」と口添えされた。介護保険?

確かに、父の今の状態は、おむつの必要性が日に日に高まっているし、何かにつかまらないと家の中を歩く事もままならない。我が家には手すりなんてなかったし、時々よろけるから危ない事この上ない。テレビでCMをやっている電動ベッドなら、寝起きもかなり楽になるだろうと思われた。だが、「介助」は明らかに必要でも、「介護」までは・・・?果たして今の父の状態で、公的保険である介護保険の認定が受けられるんだろうか?家族はかなりそれについて疑問に思ってはいたが、おむつ代だってかさむとばかにならないし、布団から続く導線に手すりがあれば、助かるのは間違いない。家族は、ダメもとでその介護認定を受けてみることにした。


家族が考えているよりも、父の状態はひどかったらしい。

介護認定を受けた結果は、要介護認定のレベル2だそうで、それにより、色々と費用が出て、手すりをつけるなどの改装費用もそれで賄えるという事が決まった。早速、父のもとに電動ベッドが貸し出される事になった。背中からリモコンでウイーンと持ち上がる、あれだ。持ち上がったら、向きを変えるだけで両足で立つ状態にもって来れるし、布団よりも随分いいようだった。加えて、廊下には手すりがつけられ、トイレや風呂にもその工事が施された。敷居の部分に段差があったのも解消してフラットになり、父にとってより快適な我が家にリニューアルが完成した。


続く

「次の正月は迎えられるかわかりません」と医師に告げられたのは、平成17年の2月にS病院を退院する時だった。「お話がありますのでお父さんとは別にいらしてください」と言われて母と二人で話を聞いた。父の様子を見るとにわかには信じ難かったが、「覚悟」という言葉をはじめて意識した。

それでも、退院後の父はすこぶる元気になり、「またばりばり働くぞ」などと息巻いていたものだ。家族は父の状態を知っているから無理をするなと言うのだが、動く身体をそのままにしておく父ではなく、また何やかやと家の周りの草刈りだとか、町役場から出ている派遣の仕事(シルバー人材)に行くのだった。夏場は体力の消耗が激しいと見えて一日寝込んでいる時もあったが、体の動く限り父はじっとしてはいなかった。


秋から冬にかけて冷え込みが増すようになると、父は次第に元気を失くし、ある時職場でこっぴどい下痢をもよおしたのを境に布団に寝込むようになった。かかりつけの病院に状態を報告すると、入院を勧められ、父は再びS病院に入院。この時の話は退院の日 という記事に書いているが、家族は「医師の言葉どおりに」父のいない正月をイメージしていた。

幸い、父は正月を家で穏やかに迎える事ができ、その頃は、「1日でも長く」というそれだけを願う日々だった。

しかし、人の身体というものが、心身ともにあるのだという事をこの時ほど考えさせられた時はない。医師の言葉をどこまで信じたらいいのかわからない程に、家に戻った父の身体はウソのように元気を取り戻したのだ。「正月」というチェックポイントを通過したおかげとでもいうのか、精神的な安定を得た父は、「この分ならまだまだいけそうだ」と思えたほどで、いつもの口うるさい厄介な存在になっていた。


しかし、もう仕事はできんなと自分でも言っていて、さすがに父も、完全なる引退生活を意識していたようだ。身体が動く日は近くの家庭菜園まで出かけて水を撒いたり、作物の様子を眺めたりしていた。この家庭菜園を我が家では「畑」と呼び習わしているが、その言葉どおりに、そこには様々な作物が生育している。キャベツ・大根・ピーマン・タマネギ・人参・ネギ・サニーレタス・じゃがいも・トマト・とうもろこし・ほうれん草・・・その他色々。僕はこの程度しか知らないが、父と母がそれこそ色んなものを育てている。他にももっとあると思う。だから今後は身体と相談しながら、ぼちぼちと、そういったものの成長を見守りつつ、夕方再放送されている水戸黄門と、高校野球と、大相撲あたりを楽しみに日々を過ごして欲しかった。


続く。

アメーバさんから、こないだひょっこりメールが届きました。「ブログの開設1周年おめでとうございます」だって。ぼちぼち1年になることは自分でもわかっていました。あぁ1年かぁとは思っていました。ただ、それがおめでたいことなのかどうかは、疑問の残るところです。月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人です。光陰は矢の如く過ぎ去るもので、放って置いてもその日はやってきます。肝心なのは、1年経ったという時間の経過がどうのではなく、「その時間における中身」にこそあると考えます。

この1年間で、僕は果たして成長できたのだろうか?


変わらないものと変わったもの。変えようとしたけど変えられないままのもの。変わっちゃいけないと努めてうまくいっているもの。色々ある。表面的には、僕は特に変わっていない。ただひとつ、家族が一人減った事を除いて。

内面的には、変えようと思いながら変えられないままのものがあり、それはまぁ社内的なものなのでここには書かない。


こないだの25日は尼崎の列車事故から一年という事で、僕も去年は記事を書いたが、言葉ではとても言い尽くせない事件だった。

大切な人を失うという悲しみに出会ったとき、その只中にあっては(朝日新聞のコピーではないが)、まさに言葉は無力だ。自分でも過去に通夜に出かけた経験は何度かあって、しかし、そこでどんな言葉をかけていいのやら全く見当がつかない。比較的距離のある方の不幸だったから、どちらかというとそそくさとその場を離れた事をよく覚えている。

今回は自分がそういう立場に立った。かけつけてくれる方が身内の叔父だとか、或いは同級生だとか、自分に近い人の顔に出くわすと、僕はただ泣けた。言葉なんて一切発する事ができなかった。ただおろおろ泣き、そしてありがとうと言うほかなかった。


父が亡くなってからというもの、僕は雑事に追われた。そして、それが一段落すると、あとは日常の仕事に戻る事が僕の責務だった。その間、ちっとも文章を書こうという気が起こらず、このブログもほったらかし状態だった。何せ、やらなきゃいかんという事は何とか(仕方なく)やるのだけども、自分の意志で自発的または能動的にやる種類のものには全く意欲が湧かなかった。それでも、あぁ1年かと思うと、また自分の足で歩かなきゃいかんかなと思い始めているところだ。


ブログを始めた頃は、ランキングを上げたいとかアクセスを伸ばしたいとか、色々と模索していた時期もあった。ちっともうまくいかないからもう考えないようにしていた。ところが、このひと月ほど、ろくに記事も書いてないのにランキングが落ちない。そりゃ多少の落ちはあるが、このアクセス数に対してこのランキングはどうよ?って感じだ。そのうちストンッと4けたの数字になるんだろうと考えていたが、いまだに3けただそうだ。変なの。また、その間に読者登録をして下さった方もいて、やたらと申し訳なく、照れくさく、でもありがたいことだ。こんな僕の文章を気にいって下さる方がいると思うと、いつまでも「腑抜けのまま」ではいけないと思う。


前を向けよと父に言われている気がする。

まずは、父の最期の様子をぽつぽつと書いて、それを僕の中で整理して、そうして立ち上がっていきたいと思う。


タイトルは「桑田が勝った」であって、「クワガタ買った」ではない。

今年の巨人はちと例年とは違うようだ。開幕から2カード(横浜戦とヤクルト戦で5勝1敗)の時点でおよよとは思っていたが、僕自身が書ける状態になかった事もあり、模様眺めをしていた。しかし、桑田が勝ったからにはこりゃ書かないわけにはいかんだろう。


600日ぶりの勝利!これで通算173勝だ。200勝まではあと27。大変だな、こりゃ。もう往時のスピードのない直球は、絶妙なコントロールを伴わなければ簡単にスタンドに放り込まれてしまい、彼独特の大きなカーブはこれまたストライクが取れない日には四球連発の元凶になる。そういう見方でいいだろうか?あのカーブは山でも張らない限り直球のタイミングでのミートはしづらいだろうから、カウントを稼ぐ球だと言っていいだろう。けれども、あれがストライクに決まらない時は、彼はぼろぼろだ。今日(昨日の広島戦)ではいいところに決まっていたからよかった。更に、直球の制球も極めていい按配だったから連打もされなかった。よかった。ま、今季の広島は打線がすこぶる不調だから、それも味方したようだ。よかったよかった。

今年はなんとか10勝以上しておかないと、名球界入りは難しい。あと10勝くらいまでいけば、マスコミも注目するし、ファンの声だって大きくなるというものだ。とにかく、本人が200勝するまでは頑張ると言っている以上、桑田本人の口から引退の二文字が出るまでは現役でいるはずだ。ま、とにかく頑張って欲しい。僕は応援する。


野手陣も、今年は若い力の台頭といい、ロッテから招いた?スンヨプと小坂が引っ張っていて(皮肉?)非常に頼もしい。いずれ、この辺はまた書く機会があると思うが、今日は矢野を褒めたい。

矢野のいいところは、たくさんある。

1 積極的である。

2 前のめりである。

3 ヘッドスライディングをする。

4 顔が高校生みたい。

5 よしのぶと違ってヒットが汚い。

6 足もそこそこ走れる。

従って、相手チームは何となくいやなのだ。



説明の必要はないと思うが、かいつまんでおく。

については、二岡が時々やる気なさそうなのと比較していつも打つ気まんまんだから。

は、打席に立った時点で既に顔が投手方面に突き出ているぞ、彼は。何なら顔にぶつけたっていいぞ?「そうまでして出塁したいんだ、俺は。」と主張している。

は、僕にはヘッドスライディングができないから。

は、仕事としてやってるようにはあまり見えず、「弟も入れてやってよ」的初々しさがまだあるから。

は、何となく「あ、抜けた!」みたいなヒットが多いから。よしのぶがヒットを打つ時は、打った瞬間にかなりの割合でそれはヒットだとわかる。バットから糸を引いたみたいにボールがシューンと飛んでいくのだ。凡退の時はバットとボールが全くかみ合わず、「打った!凡打!」みたいな。でも、矢野の打球はよくわからない。カメラがちゃんと追わないとわからない。フライかと思うとスタンドまで届くし、サードゴロかと思えば三塁線をコロロンと破ってるし、ちゃんと見てあげる必要がある。気が付いたら抜けてるのだ。


今後も矢野には頑張ってもらいたい。亀井の分まで。

そういえば、矢野の守備位置はどこだったっけ?

外野?センターかな?阪神の赤星みたいになりたいのだな、きっと。

まだまともな記事を書ける状態にありません。

清峰の決勝戦はビデオに録画していたんですが、涙腺が弱くなってるみたいで、序盤を見ている最中に(結果を知っているせいもあって)ぼろぼろと涙がこぼれて仕方がありません。その先はまだ見れない状況です。


今日、午後5時10分から、NHK総合で清峰高校の特集が放送されます。

清峰ナインが出演するそうです。たぶん生出演でしょう。


早いとこビデオをセットせねばなりません。




きのうは清峰高校が大敗したそうですが、僕とその家族は、それどころではありませんでした。


4月4日、早朝、8時8分。


父、永眠。


きのうは通夜でした。


今日、正午より葬儀を執り行います。



午前中から、入院している父に会いに行き、その後は真っ直ぐ店に入った。前日がそこそこ忙しかったから何やかやと仕事があって、1時過ぎから網洗いやら肉切り。本来なら家でじっくり観たい試合だったが、仕方がない。それきり家には帰ってないからこの時間に更新。仕事をしながらテレビを気にする。


実は、PLとの対戦は6割がた負けるかなと覚悟していた。何しろPL学園だ。あのKKコンビのPLだ。強豪校をなぎ倒して勝ち進んできた清峰といえども、PLの壁はさすがに高かろうなと。僕自身、テレビを観ているだけにも関わらず、あのPLと対戦する位置まで登りつめた事だけでドキドキしている始末。初戦からくじ運悪く当たってしまったのでなく、勝ち進んで当たっているのだ。とうとうここまで来たのだなと、「もうそれだけで感無量っす」てな気持ちだった。

だが、彼ら清峰ナインはKKコンビをよくは知らないらしい。それほど意識はない、と。そして、試合が始まってみると、あにはからんや、先制したのはうちらではないか。初回は3人で切って取られたが、ちゃんとバットに当たってるしライナー性のものもあって、「だめじゃないじゃん」。早速、二回表には主砲木原が大きな当たりをかっ飛ばしてくれた。

そして、あの永遠の名作「ドカベン」のワンシーンのような(きっと殿馬の秘打であろう)超絶技巧をもってしなければ絶対あそこには転がらないという、佐々木伸行のスーパースペシャルバントヒット!守っている方は「あ~っ・・・あぁ~・・・がっくし」となる。清峰の各打者はいい意味でヒーローになる事をよしとしない。後ろの打者につなげる意識だけを高く持ち、すべからくミートを心がけ、決してボール球に手を出さないのだ。そうして、ひとたび犠牲バントで得点圏に走者を進めるや否や、恐ろしいまでの集中力を発揮して彼(走者)を返す事のみに徹する。まさに集中打だ!


テレビで観ている限り微妙にわかりづらいが、清峰の打者はくさいボールをことごとく見送っていた。PLの前田投手は初戦で16?奪三振を記録したらしいが、恐らく、その時の打者はボールを振らされていたに違いない。しかし、清峰の打者は決して振らない。しっかり見極めていた。前田投手は思ったはずだ。

「・・・あかんわ。こいつら振ってこんし・・・ようひっかかりよらんで。」

桑田二世の呼び声高い彼であっても、例えば絶妙な「ストライクくさいボール球」を2球は続けられても、「ハイレベルなくささを帯びたボール球」を3球目にも投げ込む事は至難だろう。彼は今大会の過去3試合で四球が2個しかなかった。図抜けた制球力と周囲から誉めそやされていたはずで、根負けして四球を出す事は相当に恥だったに違いなく、それを嫌って、嫌った分制球が逆に甘くなったきらいはある。解説が何度も叫んだ「きわどいっ!」という言葉と共に「ボール!」と判定される球が増えるに従い、前田投手はじりじりと追い込まれていったのだ。でもたぶん、清峰の各打者は相当のレベルで見極めていたはずだ。


PLには叶わないだろうと考えていた僕は、後輩達に詫びなければならない。叶わないどころか、ねじ伏せてしまったではないか。攻撃面はバント、エンドラン、盗塁、そして本塁打のおまけつき。エース有迫は僕の記憶している限り、四球は2個(ぐらい?)。そしてわずか2安打に完全に封じ込めた。野球の神様が清峰に味方したとか、甲子園の魔物にPLがやられたとかいうのではなく、もう完膚なきまでに叩き潰したという内容だった。PLナインはまさに手も足も出なかった。


清峰ナインの可能性はいったいどこまで広がるのだろう。もうあと一試合を残すのみだ。相手はもちろん強豪の横浜高校。だが、清峰が破ってきた強豪校はといえば、昨夏の愛工大名電、済美、そして今春は岡山東、東海大相模、そしてPL学園と名だたる学校ばかり。ついでだが、去年の神宮大会では(大魔人・佐々木の母校)東北高校を破り、秋の九州大会では鹿児島の樟南をコールドで下している。あ、そうそう、九州大会の決勝戦において、今大会で横浜を最後まで追い詰めた石垣島の八重山商工をあっさり破っている。そう考えると、横浜だからといって臆するところは本当に全くない。自分たち本来のプレーが出来さえすれば、清峰は勝てるのだ!


PLを叩きのめしてしまうほどの強さがいったいどこから来るのか、ふと思い出した事がある。清峰は去年の国体であの駒大苫小牧に負けている。その時は有迫(当時はまだ二年生)が先発してノックアウトをくらった。その後、秋の大会で経験を積み、力をつけた結果、九州王者に輝いた。そして、明治神宮大会に出てきたら再び駒大苫小牧に当たってまた負けたのだ。WBCでの対韓国戦において「同じ相手に3度負けるわけにはいかない」とイチローが言ってる(ご存知のように3度目は勝利した)が、清峰にもその思いはあったのだ。このセンバツでは、是非勝ち進んで行って駒大苫小牧と当たり、そして必ずリベンジを果たすのだとナインはかなり燃えていた。従って、目標を駒大苫小牧に定め、彼らは懸命に冬場のトレーニングに取り組んでいる。相手が出場辞退でいないから対戦は叶わないが、その成果がそれ相当に実っているのだとすれば、結果的に決勝の舞台まで来れたというのはある意味では当然なのかもしれない。


佐々木伸行

遅ればせながら、清峰高校頑張ってますね。

初戦(対岡山東)はあまり褒められた出来ではありませんでしたが、負ければそれで終わりですから、結果としてはよくやったと言うべきでしょう。岡山東の主将は組み合わせが決まった時、「一番やりたくないところと当たってしまった」と言ってました。去年夏の旋風を知らないわけはなく、今年の清峰の実力以上に意識してくれていたようです。おかげで、投手は余計に力が入ってそれでビッグイニングも生まれたんではないかと。あのイニングがなければどうなっていたかわかりませんでしたからね。


二戦目はあの東海大相模。京都外大西が来るかと思っていたんだが、原辰則の母校が来てしまった。こりゃ大変だと思っていたんですが、そこはそれ、大物食いの清峰です。有迫がきっちり粘りの投球をして、がっつり勝ってしまいました。

鍛え抜かれた守備。投げに投げ込んだ有迫の投球。ここぞという時の打撃陣の集中力。

いやいや、周囲の期待に押し潰されたりせず、勝っておごらず、自分たちのプレーだけに集中する姿勢。先輩はもう涙ちょちょ切れます。

表攻めでの延長戦は昨夏の初戦(対愛工大名電)を思い起こします。有迫が言ってます。

「去年、古川さんが同じような場面で打っていたから自分も狙っていた」と。あの時のVTRを観ているような、そんな場面を見事に作って、そして勝ち越してしまった。

実に見事な勝利でベスト8に進出しました。


OBの僕としては、「ふたつ勝って初めて昨夏の先輩たちと並ぶんだぞ」と。先輩たちを超えるには、「みっつ勝たにゃ!」と思っています。

もちろん、彼らはちゃんとわかっています。「みっつ勝って初めて目標を超えるんだ」と。


さて、今彼らは新潟代表の日本文理と戦ってます。8回表で4対0とリードしてる。みっつめの勝利まであと2イニングです。この学校に対する僕の印象としては、好投手がチームを引っ張ってきたのかなという程度の情報しかありません。既に4点リードしてるわけで、あとはしっかり守る事のみに集中したらよかと。

勝てるっ!勝てるぞぉ!

そして、僕の描いていたPLとの対戦を実現してくれ。

今大会は、リベンジに燃えていた駒沢苫小牧がご存知のように出場辞退のため不在です。組み合わせを見た時に、これは・・・「順当に行けばPLと当たるたい!」と思っていたのです。

爽やかな旋風を巻き起こしたら、次はしっかり実績を残して名前を全国区にして、そしてビッグネームと対戦して欲しいのです。もちろん勝って貰いたい。


今、8回の攻撃を抑えました。あと1イニングだ。


う~む、ただ気がかりなのは主将・広滝の不調です。早くから主力選手だということで徹底的なマークにあい、見事にバッティングを崩してしまっております。昨夏は鋭い当たりをがんがん飛ばしてましたからねぇ。エラーまでやってしまいました。


だけど、今投げてるエースナンバーをつけてる投手はなんで頭から出てこなかったんかなぁ?清峰打線は全く手も足も出ない状態ではないか。なんか儲かった?


有迫っ!今日は素晴らしいぞ!四球がな、何とひとつだとな?8回を終えた時点で四球ひとつ。次もそういう投球を頼む。


あっとひっとり。あっとひっとり。バッター粘ってる。お互い負けるな。

あ、フォアボール。有迫は露骨に顔に出すからなぁ。

うしゃ!勝った!完封しちまったよ!

長崎県勢47年ぶりのベスト4進出!


やったやったやったぁ!

♪我らまこ~と~の~せ~いほ~うせ~い!


3月に入ってから父の人生のカウントダウンが始まり、僕はすっかり魂が抜けてしまっていました。もし友人がそういう状態になっていたら、「誰もが通る道なんだよ」とか「お前がしっかりしなくてどうすんだよ」とか、たぶん言うでしょう。自分でも、自分に対してそう思っていました。しかし、頭ではわかっていながら、なかなかそう簡単には整理がつかないものです。


僕はここ最近ずっと立ち止まったままでした。むしろへたり込んでいました。別に、今現在の僕が父に支えてもらって「生活を成り立たせている」のではありません。僕が父を食べさせているのです。けれども今までの人生において、精神的な支柱であった父を失うという事が、これほど不安な事だとは考えてもいませんでした。その、精神的な柱を自分の中で折り合いをつけるというか、己の「魂のタンク」に力を補充するのには結構時間がかかりました。その間、テレビを観たり、新聞を読んだり、人に会ったり、本を読んだり、音楽を聴いたり、「人の営み」というようなものに触れながら、それでも(父を失っても)「自分は生きていくのだ」という事の『自明』を意識して、気持ちの建て直しをはかっていました。


ブログの右側に、僕のニックネームである「redq(レッドキューと読んでいただきたい)」について触れています。これは「赤の女王 redqueen」をはしょったものですが、この事を改めて思い起こしました。生きていたいのなら、立ち止まっていてはならんのです。走り続けるのです。立ち止まって、へたり込んで、塩をかけられたナメクジのようではそれで終わりなのです。僕は魂が抜けたまま、ただ単に日々の仕事を淡々とこなしていました。でも、僕自身それで満足はしていないのです。焼肉店の経営者としてだけなら或いはそれでいいのかもしらんが、その前に、僕個人の存在があるのです。


尼崎のJR脱線事故で重体となり生死の淵をさまよった女性が退院したそうです。「99%助からない」と言われながら、少しずつ、少しずつ彼女は戻って来たのです。去年の4月25日から、11ヶ月が経っています。

清峰のベスト4入りも僕に勇気を与えてくれました。素直に嬉しいです。ピンチの場面を迎えても、自分と仲間を強く信じ、「我が為すべき事を為した」結果です。

八重山商工も底力を見せてくれました。あの横浜高校をあと一歩まで追い詰めた彼らの粘りには大いに刺激されました。


プロ野球のセリーグが開幕します。

暦は4月に入ります。

僕の中にある「桜」も、いつまでもつぼみのままではいけませんね。