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介護保険のおかげで、家の中の父は以前より楽に過ごせるようになった。

しかし、それにも増して父の容態は悪化していた。

ある日、また粗相をやらかした父は姉に世話をしてもらっていた。後始末をする姉がトイレの隣りにある洗い場でパンツを洗ったりおしめを始末していたら、便器に座る父が独り言のように呟いたという。

「お父さんは・・・もう・・死んだ方がよかとかなぁ・・・」

「・・・ほらほらぁ。またおかしか事ばいいよるねぇ。・・・まだ夢の中におるばいねぇ?」

姉は雑巾を洗いながら、涙がとめどなく溢れて困ったそうだ。

また、台所で母と二人でいる時に、ぼんやりテレビを眺めながら、父はこんな事を言った。

「お母さん・・・今度結婚する時は・・・俺はやめとけね。もっとよか男ば見つけろよね」

母は聞こえない振りをしたそうだ。


退院した時もそうだったが、父はそれより尚痩せていった。食事をろくに摂れないのだからそれも当然だろう。そうして痩せていく上半身に反比例して、父の下腹部は次第次第に膨れ上がっていった。腹水だ。初めのうちは、この腹水を「抜いてもらう事」を考えていた。しかし、この腹水は抜けば抜いただけもとの状態に戻るのだそうだ。そして、その後は倍返しでもっと多くの量に増量するケースがあるという。入院しているのなら、その量に合わせて頻繁に抜く事も可能だろうが、自宅にいる父の場合、迅速にそれが出来るわけではない。へたに量が増えると、容態急変ののち、危ない状態に陥らないとも限らない。見た目は確かにギョッとさせられるのだが、本人はそれによって苦しんでいるわけではなさそうで、従って抜かない方がベターだそうだ。腹だけ見れば、ほとんど「平成狸合戦ぽんぽこ」を思わせる状態だった。


ある日の夜、僕が仕事を終えて家に帰った12時半頃、父は台所にじっと座っているのだった。見ると、手にバナナを握り締めている。

「ただいま・・・バナナ・・・食べるの?」

「近頃のバナナは硬かなぁ。・・・むけんぞ」

「どら、貸してみ?むいてやるけん」

僕は父の手からバナナを取り上げ、むいてやる。

「おぉう、全部はむくな。少しでよか」

ほんの一口でいいと言うので、半分ほど剥いてから渡したが、父はそれをじっと見つめたまま動かない。「食べんとね?」

「なんやら・・・匂いかいだら食べとうなくなった・・・もう寝る」

おそらく、匂いが吐き気をもよおしたらしく、結局一口も食べられなかった。こういう状態は母や姉から聞き及んではいたものの、もう、父が食事を摂れない状況というのは、かなりの深刻なレベルに達しているらしい事が知れた。夕方の仕込をしている最中に、丸ボーロとか、ヤクルトとか、割合に甘いものを食べたいと言って電話してくる父。食べたいときに食べさせてやりたいから誰かが仕事を中断して家まで買って持っていくが、そういう食事が父には実に貴重なものになっていた。


続く