時間が経過するうちに被害が徐々に明らかになり、犠牲者が万単位になるという報道や、避難所で不自由な暮らしを強いられている方々に心が痛みました。仮設住宅の早期完成が望まれます。何か今できる事は何か考え、心ばかりの募金をさせて頂きました。
我が地方も物流が寸断され、スーパーやガソリンスタンドには長蛇の列ができていました。皆、整然と並んでいます。私も列に並びましたが、めぼしい物はすでに無く、お菓子や甘栗等を購入するしか無かった事を覚えています。父親も早朝からスタンドに並んで、やっとガソリンを入れられたと言っていました。
しばらく物が手に入らない状態が続きましたが、市内ではいち早く、山形資本のスーパーヤマザワさんで、一人何個までという制限付きではありましたが、パン等も買えるようになりました。私も色々購入させて頂きました。その夜、久しぶりに食べた納豆の美味しさを忘れる事はないでしょう。
徐々に物流やインフラが復旧していき、私は少しずつ日常の生活に戻っていきました。ですが多数の行方不明者や、避難所暮らしをしている方々の状況は変わりありません。放射線量を意識した生活をしなければならない状況もあり、心が晴れるという事はありませんでした。
ですがその頃私は一縷の希望を見いだしていました。全国、世界から多くのご支援、ボランティア、温かいメッセージを頂き何度も目頭が熱くなりました。その頃よくお目にかかるようになった自衛隊の車列はとても頼もしく映り、すれ違う度にお願いしますと頭を下げている自分がいました。
大変な災厄であったことは間違いありませんが、あの時の日本は間違い無く一つになっていたと思います。被災の濃淡はあれど皆が日本の復興へ同じ方向を向いて団結しているように感じました。私はその頃の雰囲気も忘れる事ができません。日本は必ず復興する。そう思いました。
時は流れ12年目の2023年3月11日14時46分。黙祷。
目を開け12年目の現実はどうかと思いを巡らせました。ハード面の復旧は進みましたが、心の問題はどうでしょうか。福島についてはまだ現在進行形の問題を抱えています。今日のエネルギー価格の高騰により、政治は原発回帰の色を強めています。資源に乏しい日本で生活に直結するエネルギーの高騰は是正しなければならない問題である事は理解します。ですが、やはり私は東北人としてレベル7の事故が起きたという事実を忘却してしまう事はどうしてもできません。当時、安全神話という言葉が盛んに言われました。政府はずっと、「対策は万全だ」「大丈夫だ」と言い続けていた訳です。また現在進行形のウクライナでも、原発が何度も危機にさらされています。日本において原発のテロ対策は本当に万全なのでしょうか?使用済み核燃料の処理法も確立されていません。核燃料サイクルは頓挫し、地層処分するにも場所はどこにするのでしょう?自治体にニンジンをぶら下げても住民を納得させる材料がありますか?原子力は人間の手に負えるものではないのでしょうか?電力構成を考えるのも大切ですが、そもそも電力に限らず何でも大量生産大量消費する生活スタイルが本当に人間の暮らしに絶対必要なのか問い直す事も必要なのではないでしょうか。
もう一つ気になるのが例えば貧困の問題等を「自己責任」「努力不足」と切って捨てるような風潮が強まっているように感じる事です。あの震災で人は協力しないと生きていけないという事を学んだはずです。喉元過ぎれば熱さ忘れるではありませんが、あの、一つになっていた日本はどこへ行ってしまったのかと悲しくなります。SNSの普及でそれがより顕在化しているように感じます。日本に住んでいる以上、地震からは逃れられません。必ずまた大規模な災害が発生します。大災害の前には人一人など無力です。色々な想像力を働かせる必要があると感じた12年目の3.11です。
改めまして犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
最後に、「想像力は優しさ」by仙台育英高校硬式野球部監督須江航さん