手術当日②(手術後) | 淡々と…40代後半・乳がん記録

淡々と…40代後半・乳がん記録

2023/4/1乳がん告知、5/1手術、5/17確定診断(乳頭線管がん、ホルモン陽性、グレード1、ルミナールA)、5/18ホルモン療法開始、7月から放射線治療。現在はタモキシフェン服用。仕事はフルタイムで継続中。
乳がんとは穏やかに淡々と付き合っていければと思います。

目を覚まして壁掛け時計を見る。15:45
そして第一声で「リンパの転移は?」と尋ねた。
「ありませんでしたよ」と看護師。まずは一安心。
リンパ郭清がなければ退院も早いだろう。
手術が終わり回復室に移されていた。

その後目覚めていたもののなんとなく目を瞑っていたが、眠っていると思われると時間がかかるのかも?と気づき、目を開けて瞬きをしていると「目が覚めましたか?」と声がかかった。16:10。看護師が16:30に部屋に戻します、とどこかに連絡している。その後血圧などを測りストレッチャーがやってきた。

「下のタオルごと引っ張りますね、せーの」
看護師が3人がかりでスライドさせてくれた。バスタオルの下にプラスチックベニヤのようなツルッとしたシードが引いてあり、意外とスルッと体が移った。
このバスタオルは入院時に預けた私物で、用途は聞いていたものの、いざ使っている様子を見て、大きめで分厚いバスタオルにしてよかったな、と思う。

ストレッチャーに乗せられて病室へ。
目がまわるからと顔にタオルをかけられる。側から見るとご臨終感たっぷりだなと考えているうちに病室に着いたらしい。

ストレッチャーからベッドにも同様にバスタオルスライド方式で移される。まだ酸素マスク、点滴もつけたままだ。点滴には手術前からの水分補給用の500mlのパックに加え、抗生剤のパックも取り付けられた。
テキパキと血圧、酸素濃度を測られ、傷を確認したあと、一時退避していた夫も病室に戻る。

時間は17時を少し回っていた。夫と話しつつ、無事終わった連絡だけ、母、友人、上司にささっとLINEした。
夫は私が病室に戻る前に医師から説明を受けていて、リンパ節への転移がなかったことも知っていた。

「転移がなくてよかったな、がんばったな」
「麻酔が効いて、起きたら終わってた。今も別に痛くないで」
「ゆっくり休みな」
「うん。あなたこそ待ってて疲れたでしょ」

4/1に告知を受けてちょうど一ヶ月後の5/1に手術。この1ヶ月で、夫は少し痩せたように見えた。私が逆の立場だったらと思うと、辛い思いをさせたな、と思う。

小一時間して主治医と院長と思しき医師ともう1人の医師の3人体制が、傷の確認に訪れ、問題なし。18:30過ぎに夫は帰った。その後もだいたい1時間ごとに、血圧と酸素濃度、傷の確認に看護師が来てくれる。

毎回痛みの有無と鎮痛剤が必要かと尋ねられるが、きつく圧迫されているからか痛くもないため、痛くないと何度も答えていたが、再三尋ねられて不安になってきた。

「普通は当日、痛くて痛み止めを飲むものなんでしょうか?」
「人それぞれですが、鈍痛があるという方はいますね」
「私、親不知を抜いても痛み止めを全く飲まなかったので痛みに鈍いのかもしれません」
「それはすごいですね。強いのかも」
「これから夜にかけていたくなってくるものですか?」
「そうですね…。寝る前だけ飲んでおきます?」
「そうします!」

夜に痛くて目が覚めても嫌だし、お守りと思って飲んでおくことにするか。

暇と空腹を持て余す私に、友人が22時前までLINEのやりとりに付き合ってくれた。感謝!

19時過ぎに点滴が取れ、歩いてトイレに行く。その後は友人とのLINEをやりとりで空腹を紛らわしつつ、21:45の飲食解禁を待つ。

21:45 プリンの時間だ!
今朝5:30以来の食べ物。チビチビゆっくり食べるよう心がけたが、あっと今に食べ終わる。プリンの蓋についた残りかすをこそげて食べようかと思ったが、武士は食わねど高楊枝、と思いとどまる。(少し違うか)

そして念のための痛み止めとセットの胃薬も飲み、22時の消灯に合わせて大人しく床についた。