■戦評■国際親善試合 日本-チリ 「寄せて、上げて、それで?」 | picture of player

■戦評■国際親善試合 日本-チリ 「寄せて、上げて、それで?」

遅れました。
この試合は餃子をひたすら包みながら時折ピンチで奇声を上げる、という、中国ではスタンダードなスタイルである「餃子観戦」スタイルをとっていたので、短評というか単なる印象になります。餃子うめー!

■日本0-0チリ
■短評というか印象
さて、紆余曲折を経た上に微妙な感情を孕みつつ、ともかくも岡田ジャパンの初陣。だったが、展開したサッカーの内容を見ると、微妙な気持ちに愛しさと切なさと心強さが交じり合うような微妙な展開。

一言でまとめれば、急ぎすぎ、という感じだった。守備も前からプレスに行く意気込みを感じたのだが、いかんせん、チリが中々手ごたえのある相手だったのでかわされる、かわされる。個々の能力も高く、ビエルサ方式でよく訓練されていた。しかし、それよりも日本の側に問題が多いような感じだった。そして、攻めはもっと問題が多い。オシム爺がゆっくりと育てていたポゼッションという概念がすっこーんと抜けて、とにかく前へ前へ。参考にしたのは明治ラグビーじゃなくて、早稲田ラグビーじゃなかったのか。しかもひたすら同サイドから行く甲府スタイルを踏襲(参考 )。オシム時代のサイドにいったん寄せて、逆へサイドチェンジという形が全く見られなくなってしまった。

それが意図的か否かというのは難しい。1ボランチにしたことでの前線の詰まり、前線でキープできなかったので時間が作れない、新戦術への戸惑いなどが原因としては思いつく。しかし、それが戦術の浸透度の問題なのか、以外に強かった相手の問題なのか、ばらつきのある個々のコンディションの問題なのか、それとも戦術の根本的な欠陥なのか。おそらくその全てがそれぞれちょっとずつ問題なのだとは思うのだけれど。ただ、大木さんがコーチになったことも考えると、ある程度意図的である可能性は強い。いわゆる「接近、展開、連続」っていう言葉の具現化と捉えていいだろう。

ただ、いつまでもこの状態は続かないと思う。新監督になったときってのはやっぱり過剰にスタイルが出るのかね。確かオシムが最初に就任したときも「走る」ばっかり強調されていて、みんながそれを自己目的化していた気がするし。最初はこんなもんじゃねえの、という気はする。しばらくしたら選手も監督も慣れてきて、チーム内での「概念の定義変化(最適化)」と個人による「拡大解釈」が起こって、平準化されたチームになっていくのだろう(現実との止揚)。もちろん、それはオシム的な平準化、ジーコ的な平準化(したの?という話もある 笑)とも違って、岡田的な平準化になるのだろうけど。

問題はその止揚点がどの位置に来るのか、ということだ。甲府のような極端な方向に突っ走るのか、それとも妥当な線に落ち着いていくのか。常識的に考えれば、後者だ。もっとポゼッション率が上がって、サイドチェンジもするようになる。個の突破も増えていくだろう。その中で「同サイド突破」が調味料のように使われる。対アジアを考えれば、その方向に行くのが妥当だ。岡田さんは着実な現実家という側面を持っているしね。しかし、変に理想に引っ張られすぎると、アジア予選ではだいぶ苦労するだろう。ただ、その先のワールドカップとかを考えると、ここらで一旦振り子が千切れるほど極端な形を見てみたいという気もする。そっちのほうがわけのわからないサッカーになって面白いかもしれない。予選突破できるかどうかは保障しないが。笑

まあ、コンディションもぐちゃぐちゃだし、これから。あと、個人についてはこの時期なのでなんとも。巻の調子がよくて高原の調子が悪かった。それと内田はちょっとかわいそうだったね。犠牲者。次もがんばっていきましょー。


■picture of player マルセロ・ビエルサ
今、ビエルサが監督やってることを知らなかった。チリに居場所を移しても、男は黙って3-4-3でウイング至上主義。なんかここまで来ると美学というか薄気味悪い執念のようなものを感じる。なんつうか、あのメンバーでこのサッカーをやる必然性は全然感じないんだけど、とりあえず3-4-3。素材が何であれ、とにかくカレー。「いいから食えよ」という男の料理。まあ食ってみりゃうまいんだけど、なんか変態的なものを感じる。できれば友達にはなりたくない監督。


■自分用メモ■
「同サイド突破」、「非サイドチェンジ」、「非ポゼッション」、「カウンター」、「縦への楔」、「急ぎすぎ」、「パーフェクト中澤」、「1ボランチ」、「ビエルサはド変態」