
子供達のキャンプの迎えのために高速を使い「うるま市」と言うところに行って来た。
高速自体割と空いていて、天気も良く行きは快適なドライブだった。
帰り道、右折して高速に入ろうとしたが何やらえらい道が混んでいる。
徐々に前に進み遂に信号機が青。
今だ!と思いギリギリ青から黄色に変わる間際をついて交差点に突入
そしてカーブと思ったら交差点のど真ん中で事故処理をしていた
制服姿の国家公務員の方々に止められる。
これがその時撮った写真。
丁度おしりが大きくて衝突箇所が見えないが、左側の車は右前方がほぼ全壊。
かなりのダメージを負っていた。
ドライバーは両方とも女性で幸いにも特に怪我はなさそう。
沖縄に帰って車を運転するようになり気付く事が、女性ドライバーの
「道を譲って当然でしょ」と言わんばかりの割り込みの多さ。
男性の場合、道を譲ると必ずハザードランプを数度チカチカさせて
お礼の意思表示をするが、女性の場合はそれが殆どない。
交通ルールではないので知らないか、或は非常時と勘違いされると困る
からやらないのかは定かでない。
が、しかし感謝の意志表示をされて悪い気持ちはしない。
私の場合、基本的に自分がされると嬉しいように、横道から入ろうとする
車には極力道を譲るようにしている。
しかし、後続車が接近して来ていたり、スピードが出ている状況で
間近でその事に気付いた場合など譲るとマズいと言う状況の場合も
あったりする。
実は、ここ数か月で「ヒヤリ」とさせられた事が何度かあった。
本道をかなりのスピードで走行中、脇道から女性ドライバーが本道に
入ろうと待っているのが見えた。ちょっとこのスピードでは譲るのは厳しいし
入ってこないだろう、と思った次の瞬間、その車が自分の車の前方に入って来た。
慌ててブレーキを踏み追突は免れたが、シート上の鞄やら色んな物を
社内にぶちまけてしまった。
その車は何事もなかったかのように別の車線に移動し行ってしまった。
相手が譲ってくれるだろうと言う「善意」を期待する気持ちは分かる。
しかし、その思い込みだけで、周りの状況(スピードは出てないか、
後続車との距離はどうか?)を見ずに行動するのは事故のもと。
もしかすると、男性ドライバーと女性ドライバーとでは脇道から侵入する
際のタイミングの判断基準が異なるのかも知れない。
※今度誰か女性ドライバーに聞いて見よう。
人間関係に於いても然り。
相手はこう思っているだろう、と言う自分の思い込みだけで一方的に
行動するとトラブルを巻き起こしかねない。
つまり周りの状況を的確に見ることが出来ないとマズいって話しだ。
「空気は吸うだけじゃなく、読むもんだ」 と言ったやつがいた(俺か?)。
人間には男性と女性がいて、両者では思考のパターンが異なる。
物語に結果(オチ)を求める男性とその過程を楽しむ女性と言う感じか。
その事が分かっていないと話しがかみ合わなかったりする。
これからの世の中とんがり君が成功すると言う話しをした事があったが、
それでも「人間音痴」はダメだ。
ビジネスではとんがり君、しかし普段の生活では人の気持ちが分かる
やつじゃないと人はよって来ない。
なんだそんなことかっと思っているあなた!。
出来てます?。
奥様の気持ち、旦那さんの気持ち、子供の気持ちが分かりますか?。
むかし、人の気持ちを知ろうと電車内で人間観察をした男がいた。
その男は、社内の座席に座ってる人を観察し、そろそろ降りそうだと
思った人の前に立ち自分の観察眼を鍛えていたそうだ。
※ただ単に座席に座りたいがために行っていたと言う説もある。
その男こそ何を隠そう、、、Red。
所要があり、沖縄県の中部辺りに位置するうるま市の
「石川青少年の家」と言うところに行って来た。
石川青少年の家から見た「金武湾(きんわん)」の眺め

木の枝のブランコが一気に童心を呼び起こす
私が暫く沖縄を離れている間に
石川市、勝連町、具志川市、与那城村が合併し人口12万弱のうるま市
と言う大きな市が誕生していた。
2006年の事。
むかーし、遠足か何かで1、2度行ったことのある青少年の家だが、
建物は古くなっているものの、高台にあるため相変わらず景色が良く
広々とした芝生は開放感があり、天気も良かったせいか気分爽快って感じ。
よせばいいのに、木の枝に結び付けられたブランコに乗って危うく枝を
へし折るところでした(--;。

帰りがけに近所の川を覗いていると何やら白鳥のような鳥を発見。
「あれ?こんなところに渡り鳥?」と思っていると
突然背後から
「こんにちは」の爽やかな声。
振り返ると近所の方らしい若い女性の方が立っていた。
沖縄でも都市部では見ず知らずの方に挨拶をすると言う
習慣はなくなりつつあるものの、この辺りではまだ健在なのか?。
何故だか無性に嬉しくなり「こんにちは」と挨拶を返し
「この川は何と言う名前ですか?」
「あの鳥は何ですかね?」
と他愛もない談笑を数分。
楽しいひと時を過ごす事が出来た。
ここで以前ネットで見た「承認」と言うショートムービーの事を思い出した。
※ちなみに「承認2」はこちら。感動的なので見てね。
人は人に承認されると嬉しくなるもの。
挨拶されると言うことも一種の相手からの承認。
相手から認められればそりゃー誰だって嬉しいよね?。
でもよくよく考えて見て。
皆が「認められた~い」って思っていると言う事は
逆に相手の事を「認めてあげる」ようにすれば人は自ずとその人の元に
集まって来ると言う事じゃない?。
私の場合、常に先に挨拶をするように心掛けている。
ご近所さんとか用があって出かけた先とか。
挨拶されて文句言うやつはいない。
試して見てよ。
あなたの周りに人が集まって来るかも。

沖縄に戻って来てすぐに目に付いたのが
「ウォーターステーション」なる水を売るスポットの多さ。
東京に住んでいた頃には近所のスーパーで容器を購入すれば
「無料or有料」をチョイスして浄水器を通した水がもらえる場所が
何か所かあったが、こんな風に店舗で販売している場所は殆ど見た
事がなかった。
もしかすると、浄水器を設置したり宅配をしている家庭が多かったの
かも知れない。
水って、元々水道水の水質の余りよろしくなかったり水自体が美味しくない
欧米諸国を中心に売られており水と安全は「タダ」(実際は水道代払ってるけど)
と思われていた日本では、わざわざ「お金を出して水を買う」と言う事は
ばからしいとさえ思われていた感じだった。
ところが、1980年代になると水道管のさびやら塩素臭がする、
果てはトリハロメタンがどうだとかが騒がれるようになり、
商機を感じた飲料水メーカーより初めて、飲料用の水が売られるようになる。
当初は高級酒場などで利用される程度であったが、
その後、次第に一般にも認知され気が付けば
色んなフレイバー、そして炭酸水が発売されている。
私も毎日のようにお世話になっている一人。
今もスパークリングレモンなる炭酸水を飲みつつこの記事を書いて
いる次第。
今や水は
「命の水」
と呼ばれる程世界中で貴重視される状況になっている。
特にお隣の中国では、大気汚染、水源汚染が深刻な問題となり
エネルギー資源と共に水資源の確保は国の重要命題の一つと
なっているようだ。
日本国内の水源地が外国資本によって買い上げられていると
言う事実もある。のほほんとしていると首根っこを押さえられる
ことにもなり兼ねない。
更に水の次は空気。
温室効果ガスの排出量を各国で取決め、削減出来た国は
出来なかった国へ排出権を売っちゃおうって話し。
何でも間でも金に換えてしまおうと言う資本主義ならではの発想。
ただし、アメリカを含め温室効果ガスを大量に排出している国が
批准していないこともあり、その効果はどうなの?と言う感じもするが。
※一時期新聞紙面を賑わせた「京都議定書」ってやつね。
はてさて次は何がターゲットになるのやら、、、。
世界、国家、社会、家庭、、
全て個人が最少単位となったもの。
つまりは、個人の考え方が変わらない限り
家庭の形、社会の仕組み、法律、国際法を変えようとも有限な
資源を奪い合うと言う構図は変わり難いんだろうなぁ。
だって道具って
「使う人次第」
だもんね。
