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Redの未来は自分で創る

あなたは自分が変われると思ってますか?。時間が未来から現在に向かって流れている、この事を知ればあなたは変われる。

バーガーキング①

バーガーキング知ってますか?。

1993年に西武グループ系列の西武商事が、バーガーキング本社とフランチャイズ
契約を結び、1号店を西武池袋線の駅ビルの中に構えた。

バーガーキング日本一号店、入間店のオープンである。

※ちなみにモスバーガーの1号店は東京都板橋区成増の駅前商店街
 (通称スキップ村)入口付近にあり、昔成増に住んでいた頃はよく行ったもんだ。

その後日本での経営母体が色々変わり、1990年代後半には、マクドナルドが
打ち出した「平日半額キャンペーン」などの影響により単価の高いバーガーキング
からは客離が加速。これを機に経営権がロッテリアに移行。

国内の店舗は次々と「ロッテリア」へと看板が付け替えられていった。

何を隠そう、独身当時の私はかなりの「ヘビーユーザー」。

ほぼ毎朝のように通い、毎日決まった席で決まったモーニングメニューを
注文。そのハマり振りに「キングRED」と呼ぶものもいたほど。

その証拠にスタンプカードを何枚も貯めて「腕時計」を2個ゲットしたほどだ。

ところが暫く間を開けたある日、スタンプカードを持ってモーニングを
食べに行ったところいつの間にか「ロッテリア」の看板が。

暫く茫然としてフッと我に返り店の人に聞くとバーガーキングは先週で
閉店したとの回答。結局、手元には途中までスタンプの溜まったスタンプ
カードのみが残ってしまった。

それ以来、永きに渡ってバーガーキングを訪れる事はなかったし、その
姿を見かける事もなかった。


そして現在。


ロッテリアの配下にあり、息を吹き返したバーガーキングは、東京、大阪、
埼玉など首都圏を中心に店舗数を増やしつつある。


知らなかったが、実は沖縄にも3店舗が営業していた。


冒頭の写真は沖縄1号店の「沖映通り店」。

※沖映通りとは国際通りから分岐し、国道58号線につながる通りのこと


そして下の写真は先日沖映通り店に行った時の食いかけ(><)。

バーガーキング②

これはアップの画像

ワッパー


このワッパーのデカさが半端ない。

そもそも、WHOPPERは英語のスラングで「バカデカイ」を意味するのだから当然か。

マックのハンバーガーを食べなれた人には直火で焼いた「肉」の味がする
このデカいハンバーガーはきっと衝撃だろう。


本当にデカさが半端ない。

※ちなみにアメリカで販売されているサイズとほぼ同じとのこと。

食べ応えが満点。


肉のうまみが味わえる。


ちょっと前に子供達を連れてマックに行った。

ダブルチーズバーガーのセットを2つと、ハッピーセットを2つ注文。

先にハッピーセットのチーズバーガーらしき物が2個出てきたので
子供に「先に食べてていいよ」と伝える。

子供達がむしゃむしゃと半分ほど食べた頃

「ハッピーセットのチーズバーガーお持ちしました」

との元気な店員さんの声。

「チーズバーガーはもう来てますよ」と言いつつ子供らが食べているのを
見るとなんだかチーズらしきものが2枚見える。


「えっ、この小さいのダブルチーズバーガー?」


スマイル無料の店員さんを前にして思わず出てしまった一言。


気が付いた時には既に半分程が胃の中に放り込まれており、どうしよう
もない状況。仕方なく、子供達用に注文したチーズバーガーを食べることに。


それにしてもあの「小ささ」でダブルチーズバーガーとは参った。


それぞれの会社にはそれぞれの会社のコンセプトと言うものがある。

安く済ませたいのであれば、マクドナルド、

本格的な肉の味を味わいたいならバーガーキング、

和風な味が好みであれば、モスバーガーと言ったところか。


それぞれのお店にはそれぞれのコンセプトに魅力を感じた客が集まって来る。


それでは、あなたの元に集まって来る人がどういう人ですか?。


それはあなたがどういうコンセプトの元に情報を発信しているのかによる。


自分が甘い物が好きで(実際好きだが)、スイーツに関する記事のみを
掲載しているのであれば、甘い物好きな人達が集うだろうし、

車が好きで(実際好きだが)、車に関する記事のみを掲載しているので
あれば、車好きがあつまると言う感じだ。


自分の記事を読んでくれているのはどんな人なんだろう?。


自分の書く文章で話しの内容は上手く伝わっているのか?。


文章は「どう伝えるか」よりも「どう伝わっているのか」と言う部分が
とても重要なところだと思う。


そう考えると、自分の書く文章がどう伝わっているのかとても気になるところだ。


文章の中の何か一言があなたの心に引っ掛かり、また訪れてくれるのを期待
しつつ。

最後まで読んで頂き「感謝」(ー人ー)


皆さんの家には鏡がいくつ(何枚)ありますか?。

数えると鏡って結構あったりするんですよね。

我が家にもパッと思いつくだけで4~5枚の鏡があります。


自宅では奥さんと会話してます?

お子さんとは会話してます?

彼氏とは?

彼女とは?

そして一番重要な「自分」との会話はしてますか?。


ところで自分との会話ってどうやるんだ?。


以前、ドクターモルツの「自分を変えるイメージプログラム」

と言うのに取り組んだことがある。

申込むと音声とテキスト形式のワークブックが送られて来た。

音声を聞いてイメージし、ワークブックに書いてある課題に取り組む

と言うもの。


その中にあったのが、

鏡に「私は変われる」と水性のマジックで書いて

それを朝晩声に出して読んで下さいと言う課題。


今考えれば

自己評価を上げるためのトレーニングだった事が分かるが、

当時は「なんじゃこりゃ、こんなんで変われるのか?」

と半信半疑で取り組み始めたのを覚えている。


「私は変われる」と鏡に書いて、それを読み上げている場面を

家族に見られるのもどうかと思ったので、周りが寝静まった夜中に

「密教」のごとく密に行っていた。


1週間程したころ、下の子供が

「あれ、だれか鏡に落書きしてる。お父さん鏡に落書きされてるよ」

と訴えて来た。


上の子が落書きしやがったかぁと思い大きな姿鏡を見ると

何とそこには「私は変われる」と大きく書いてあるではないか。

そう、前日に書いて読んでいたのを消し忘れていたのだ。

「多分お兄ちゃんが書いたんだろう」と適当な事を良い即座に抹消。


まあ、1ヶ月位続けただろうか。

確かに少しだか「私は変わった」と言う気がする。

いわゆる自己催眠的な物があるのかも知れない。

「俺には出来る」見たいな根拠のない自信が芽生えて来た。


コミュニケーションの達人と呼ばれる人達の中にも自分自身との

コミュニケーションを上手く取れていない人達も多いのではないだろうか。

灯台下暗しとか医者の不養生などと呼ばれるものなのかも知れない。


一番大事な自分とのコミュニケーションを忘れず「鏡に映った自分」に

話し掛けて見よう。

「お前わりとイケてるじゃん」「お前天才だよ」「おまえ程スゴイ奴見たことない」

と褒めて見よう。

その際、照れてはいけない。

鏡に映ったもう一人の「私」に真剣に伝えるのだ。


たとえ奥さんが、

たとえ子供達が、

たとえ彼氏、

たとえ彼女が

褒めてくれなかったとしてもあなただけはあなたの事を褒めてあげよう。

あなたの事を誰よりも一番良く知っているのはあなたなのだから。

自分の事を本気で褒める事の出来ない人間は、

人の事を本気で褒める事は出来ない。

壁画

これ何だか分かります?。

美術館内の写真、ではないです。

実は、

壁画の正体

そう工事現場の壁に描かれた絵なんです。


通行人やご近所さんにとっては、殺風景でうるさくて迷惑だと感じて

いた工事現場も、この壁の壁画一つでこんなにもイメージが変わる

ものなんですね。今では通行人の目の保養の場となっているようです。


このようにそれまで「迷惑」「邪魔」などと思われていたものもある一つの

きっかけて一転受け入れられてしまうものなんです。


工事現場と言う騒々しい雰囲気の場所に「花」や「木」といった

正反対な自然の物を取り入れる事によって人々そこにギャップを感じ

心が動かされます。


そこに木々のやわらかなイメージがスッと入り込み受け入れられる

と言う訳です。どうも後から来たものの方が心に残るようです。


今、日本中の工事現場でこういう壁が作られており、

海外から来る観光客の観光スポットの一つになりつつあるようです。


こういう細かいところに気が付くと言うのも日本人ならではの

人を思いやるとか周りに迷惑を掛けないと言う文化の表れであって

物事を合理的かつ効率的に考える外国の方々にはなかなか発想し

辛い部分なのかも知れない。


そう言えば以前、三角ポールや仮設ガードレールにお猿さんの絵が

貼られているものがありました。あれも通行人に対する配慮見たい

な事情があるのかも知れないですね(クレーム軽減の意味も)。


先日、車で15分程度行ったところにある堤防に釣りに出かけました。

急に思いついた行動で、釣竿に釣り具箱、お茶に家にあったパンを

ショルダーバッグにねじ込みいざ出発。


途中、釣具屋さんで餌を購入し釣り場へ向かう。


今回の餌は冷凍エビ。


釣り場近くの「青空パーキング」に車を止め、道具を持って堤防へ

向かうと、長さ数百メートルの堤防いっぱいに様々なデザインの「壁画?」

がらしきものが描かれている。

とても「落書き」とは思えない完成度で、素人目に見ても感動を覚える

ほどの出来栄え。中には「作品」と呼べるような物もあった。

※感動して写真を撮り忘れてしまった(><)。


場所は変わって那覇市のおもろまち公園。

夜な夜な若者達が集い独創的なダンスに真剣に取り組む姿が見らえる。

おもろまち公園①
※遠くの方に若者達が躍る姿が見えますか?

夜遅くまで一生懸命に打ち込む姿は見ていて感動さえ覚える。

彼らは「夢」に向かって全力を尽くして頑張る子たちだ。


ある者は言うだろう「夢だけでは食べていけない現実を見ろ」と。

しかし、今ある現実と言うものは過去の延長線上でしかない。

つまり今の大人たちが作った現実であって、彼ら未来を担う若者には

全く関係ないものなのかも知れない。


だとすれば、我々大人が出来る事は、彼らに対し

「工事現場の壁に絵を描いて見ないか」と呼びかけたり、

「区民や市民の催し物の場で踊って見ないか」と呼びかけるなどの

チャンスを提供する事ではなかろうか。


そうして彼らの中からある者は自分の「夢」を叶え、

またあるものは叶えられず自分の現実と言う物を悟り

別の道を歩むことだろう。


しかし、例え「夢」叶わず別の道を進んだとしても、彼らの心には

「大人は自分達の夢を応援してくれた」と言う記憶は残る。

そして彼らに続く若者達の「夢」をサポートしてくれる者となるであろう。

こうして夢を見ることの許される可能性を秘めた社会が形成されていく。


そんな風に社会に対し「夢」を持つ多くの子供達のいる社会を見て見たいと

思いませんか?。


そのために、私達大人のすべき事は、「夢」を潰す「ドリームキラー」にならない

ようにすること。


以前見たカード会社のCMでこんな会話があった。


父:「○○ちゃんの将来の夢はなんなの?」

娘:「パパ見たいな建築家になること」

父:「えぇ(照れ笑い)」

娘:「だってカッコいいじゃん」

娘:「パパの将来の夢はなに?」

父:「・・・・・」


先ず、私達大人こそ「夢」を持ちましょう。

そして子供に堂々と「俺の夢は○○だ」と言えるようになりましょう。

それが「ドリームキラー」にならないための第一歩です。