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Redの未来は自分で創る

あなたは自分が変われると思ってますか?。時間が未来から現在に向かって流れている、この事を知ればあなたは変われる。

以前、東京の某通信関係の会社に勤めていた時のこと。


いつも遅くまで残業している同僚がいた。


「そんなに忙しいなら仕事を誰かに振ったら?」と言っても

「心配しなくても大丈夫。何とかなる」と言う返事。


会社側の心配は、何とかなると言う仕事の量ではなく、その同僚の残業代。


何だかんだで残業代を含めると周りの同僚の1.5倍の給料をもらっていたからだ。


最終的には上司から作業内容の細かなレポートを出すようにと言われて

残業が減っていった。


製造業に携わる人間であれば、その製品の出来具合で仕事の量が計れるが、

ホワイトカラーと呼ばれるデスクワーク中心の業務は(特にバックオフィス系)

はなかなかその実績を数値化しずらいと言う所がある。


実は日本の労働生産性と言うものは、製造業を除くと欧米諸国に比べてかなり

低い位置にある。


1人当たりの年間の労働生産性は、7万1619ドルで、OECD加盟

34か国中、21位。

また、就業1時間当たりで見た日本の労働生産性は、40.1ドル(4250円)

とOECD加盟国中、20位。


更に先進7か国に限って見ると、1994年から19年連続で最下位をキープ中。


GDP世界第3位の経済大国とは思えない有様、、、。


何故こういう事が起きてしまうのか?。


日本の優良企業でよく名前が挙がるのが「トヨタ自動車」。


「カンバン方式」と言う言葉はそのまま海外の企業でも取り入れる程

メジャーなものとなっている。


要はいかに効率的に仕事を進めて行けるかと言う部分を突き詰めて

行った結果あの方式に行き着いたのだ。


海外企業との価格、品質競争にさらされていた製造業は、日々の血のにじむ

ような努力の積み重ねによってあの方法を生み出したのだろう。


また「HONDA」においても、アシモや小型ジェット旅客機などが世界的に

有名となり、製造業を中心とした企業の世界への進出が目立っている。



ところが、ことホワイトカラーと呼ばれる人々の活躍はあまり聞かれない。


この分野においては、最近まで海外企業との競争が無かったと言うのが

その効率化が遅れている原因の一つではないかと思う。


件の同僚のように、日本では遅くまで残業をする人間が頑張っており、

定時に帰る奴はやる気がない、と言う風潮が長くあったからだ。


しかし、昨今の企業の収益の低下もあり、この辺りも見直されつつある。


最近では、IT業界を中心に賃金の低い海外企業へバックオフィス業務

をアウトソージングしようと言う動きも出始めている。



言われて見ると、日本のオフィス労働者は非常に効率が悪いと思わざるを

得ない部分が多々ある。


私も身に覚えがあるが、1日の半分近くを数百通に上るメールの対応に追われる

と言う事もザラにあった。


ちょっと電話すれば済む問題もメールを送り相手からの返事が来るのを待つ。


その間は時間のロスとなっている。


ところが、こういう行動は自分自身が起業し、会社と言う組織のそとに出た時

に命取りとなりかねない行動だ。


企業の中にいる時には、曖昧にされていた私達の行動が、起業する事により

よりシビアに生活に直結する結果をもたらしてしまうからだ。


よく、会社勤めが長い人間が定年後に起業をしてもなかなか上手く行かない

と言う話しを聞いたりする。


これはまさしく、従業員マインドと起業マインドが正反対の立場に立つもの

であるため、その事を理解せずに独立すると大変な事になると言う事を物語

っている。


知っていると出来るとは違うと言う事だ。


もし、あなたが独立起業を目指している人間であれば、先ず

従業員マインドと起業家マインドの違いをはっきりと認識し、

そのマインドを変える作業をしっかりと行うべきだろう。


しかし、だからと言ってマインドだけ整えば上手く行くわけではない。


会社内では、「言われた事だけやって余計な事はしない」と言う事が

正しく従業員マインドのなせる業であったし、それがある意味正しい

行動であったであろう。



しかし、起業した場合においては、誰も言ってくれる人がいない。



「言われた事だけやる」から「言われなくても動く」と言う風に

行動自体もシフトさせて行かなければならない。


これらを踏まえた上で、今の自分自身のやるべき努力の方向は

どこなのかはっきり認識し、行動する必要があるだろう。


分かっちゃいるけど、難しいんだなこれが。


あなたは、褒められるとやる気が出るほうですか?。


それとも、叱られて発奮し伸びる方?。


私はどちらかと言うと褒められるとおどけて見せるほう。



でも人を褒めると言うのは褒めた方も褒められた方も決して

気持ちの悪いものではない。



「こらぁ、てめぇ何勝手に人のこと褒めてんだよ」



なーんて人はなかなかお目にかからないですよね?。



人は褒められて期待を掛けられると、その期待通りに成果を出そう

と頑張るもの。



この事を心理学的には「ピグマリオン効果」と言う。



ただ、褒めるにも色々なパターンの褒め方があり、これを間違え

ると返って本人の成長意欲を削いでしまい、現状に甘んじ、無難な

道しか選ばなくなる人間を作ってしまうので注意が必要。



ある心理学者が褒める事に関する以下の実験を行った。


①400名の小学生を対象に、易しいパズルを解かせた。


②子供達を200名ずつAとBに分けた。

・Aグループに対してはその結果から他よりも能力がある事を褒めた。

・Bグループに対しては、最後まで頑張ったとその努力や過程を褒めた。


③子供達に新しいパズルに挑戦させた。この時「簡単なパズル」と

 「難しいパズル」のどちらに挑戦したいかを尋ねた。



結果は、、、、



才能を褒めたAグループの子供達は、大半が「簡単なパズル」を選んだ

のに対し、努力を褒めたBグループの子供達は大半が「難しいパズル」

を選んだ。



能力があると褒められた子供は、

難しいパズルを選んで出来なかった場合褒めた人間にがっかりされる事

を恐れて簡単な方を選び、


努力を褒められた子供は、

更に努力して難しい事を解決して行こうと言う思いから、難しい方の

パズルを選んだとのこと。



つまり、褒め方一つで成長意欲を止めてしまう場合もあれば、成長意欲を

かきたてる場合もあると言う事。



これは自分の子供に対しても、会社の部下に対しても言える。



「○○ちゃんより良い点数取ったのねー」とか、「100点取れてスゴイ

ねー」と何気なく褒めていると、○○ちゃんより悪い点数だったりとか

100点取れなかった場合、がっかりした顔を見たくない余り、テスト

自体を見せてくれなくなる可能性もある。



※サザエさんのカツオやドラえもんののび太のような感じか?。



子供が「点数」や「相手との比較」にフォーカスしてしまう為に

起こす行動。


そうではなく、その過程や努力にフォーカスするように仕向ければ

自ずとモチベーションを維持し易いし、何でも隠す事なく話してくれる

と言う事。



また、会社であれば例え褒められたとしても、結果ばかり褒めていると

ミスを隠し、結果を盛って報告して来るかも知れない。


こうならないためにも、日頃から努力やその過程を見つけて褒めると

言う事を心掛けるようにしよう。


そうやって子供や会社の部下、そして同僚の努力の過程を見つける事が

出来るあなたは、きっと子供や部下、同僚からも信頼される存在となる

だろう。






人生には出発点がある。


それも1か所だけではない。


オギャーとこの世に生まれた時は「この世の人生」の出発点だし、

お亡くなりになる時は「あの世の人生の出発点」(ナンマイダー(-人-))。


その間にも、学校に入ったり、就職したり、仕事が変わったり、

結婚したり、子供が出来たり、子供が入学したり、引っ越して環境が

変わったり数え上げればきりがないくらい、いくつもの新たな人生の

出発点と言うものがある。


ある人はそれを人生のターニングポイントと捉え積極的な行動に出るだろうし、

ある人は単なる一事象と捉えこれまでと変わらぬ生活を営む事だろう。


さて、あなたがこれから40年先、50年先か分からないが、仕事の第一線

から退き、過去を懐かしむメモリー生活に入った時、なんとなーく捉えどころ

の無い、余り思い出のない人生と、波乱万丈で笑いありスリルありの人生と

であれば、どちらの方がメモリー仲間との会話が弾むと思いますか?。


また、孫やひ孫がやってきて「じいちゃんが若いころのお話し聞かせて」

と言って来た時に「特になんも話す事はない、普通の生活じゃったなぁ」

と言うのと、少しくらい膨らませてもいいから、面白可笑しい人生の話し

をするのとではどちらが楽しいでしょうか?。


そう考えると、人生の節目を新たな出発点として行動するのはとても

有意義な事だと思ったりする訳です。


ただし、この人生の新たな出発点において、一つ注意しなければならない

点がある。



何だと思います?。



私達が新たな事にチャレンジするとき、ボンヤリながらも目標のような

ものを立てたりする。


いつまでにはこうして、そして、いついつまでにはこうなってて、みたいな。


まあ、得てしてそれは前向きな目標であったりする。


いわゆる「ポジティブにシンキング」ってやつだ。


これ自体なんら悪い事ではないと思う。


しかし、これがあなたの新たな出発を挫折へと導いてしまう場合も、、、。



私も東京での生活に「ピリオド」を打ち、沖縄での新たな生活を出発した。


まあ、若干時期はずれるが、それに伴い新たにブログを開設し情報を

発信すると言う事を始めた。


実は何を隠そう、ブログを書くと言う事は自体は以前にもやっていた。


かれこれ4~5年位前になるだろうか。


その時も、一応自分なりには一生懸命書いていたつもりだった。

※今見ると「?」な内容だが。


しかし、蓋を明けて見ると、1日の訪問者は僅か数人、全くいない日も、、、、。


単なる自己満足の「日記」として捉えていれば納得もいくが

誰かに読んで欲しくて発信しているのにこの有様とは、、、愕然。


と言う事で次第に筆も(キーボードか)も進まなくなり、

自然とフェードアウトしてしまった。


こうして、宇宙に浮かぶ使用済み人口衛星のようなブログが、

また、ネット上に「ゴミ」となって放たれて行った。



これは新しく仕事を始めた場合もそう。


例えば、インターネットを使ってネットショップを始めたとする。


よし、今月は3万で来月は5万、そして再来月には10万達成だ

と意気込んで始めるわけだ。


ところが、今月0、来月0、再来月0。


決してサボっている訳ではない、自分なりに一生懸命やっている。


ここで大体の人がこう思う「こんなに頑張っているのに何で?」。


そういう場合は得てして自分の出発点を「ゼロ」からと捉えている人が多い。

※実際自分もそう考えていた。


私達がビジネスを始める時、殆どの場合において私達がそのビジネスの

「先駆者」である事はまれだ。


つまり、既に私達に先駆けてそのビジネスを行っている人達がいる

と言うことだ。


私達が「先駆者」であれば、「ゼロ」からの出発と言う捉え方でも

いいだろう。


しかし、先駆けて行動している人達がいる場合、私達は相対的に

マイナスからの出発と言う捉え方をした方が腑に落ちるだろう。


マイナスからの出発なので、当然「ゼロ」に達するまでは目に

見える実績と言うものは出てこない。


しかし、その事を知っていないと件の私のように「全然読者が

いねーから面白くねぇ」となって辞めてしまう。



「継続は力なり」「石の上にも三年」



昔の人は良い事を言ったもんだ。



土に巻かれた種は地上に出るまでにいくらかの日数を要する。



その種が途中で

「この暗闇いつまで続くんだ?、いい加減疲れたからもういいわ」

となったらその種は日の目を見る事はない。


もう少し、あと数センチ頑張れば地上に芽をだし、無限の大空に

背伸び出来るのに、、、。


このブログを書き出して早いもので、3か月が経とうとしている。


始めは日々数人しかいなった訪問者の数も今では、日々数百人の方々

にお越し頂けるようになった。


これからも、もっともっと文章力を磨き


あなたの心を鷲掴みにして激しく揺さぶる事の出来るような

目から何枚も何枚もウロコがすべり落ちるような

思わず机の「ヘー」ボタンを何度も押してしまうような

そんな事を書けれるようになれば最高だと思っている。


それが私の次なる出発点なのかも知れない。


計り知れない程のマイナスからの出発かも知れないが。