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Redの未来は自分で創る

あなたは自分が変われると思ってますか?。時間が未来から現在に向かって流れている、この事を知ればあなたは変われる。

スティーブン・セガールと言う人物を知っているだろうか?。


「沈黙の○○」と言うシリーズで日本でもおなじみのハリウッドの

アクションスター。


1969年、17歳の時に来日し14年間滞在。


その間に、合気道、空手、柔道、剣道、禅に至るまであらゆる「道」

の付くものを習得、最終的に仏教徒となる。


合気道に至っては、7段と師範の資格を持つまでになった人物。


日本を足場として成功していったと言うサクセスストーリーが

ジェームス・スキナーとかぶるような気がするのは私だけだろうか。


私生活は・・・ここでは触れない事にしよう(^^;。


彼の映画の面白いところは、変則合気道を駆使したアクションシーン。

圧倒的な強さで悪を粉砕すると言うお決まりのパターンだが、その絶対的

な強さにシビレルと言うファンも多い。


私もハマったうちの一人。


ボクシングや空手のように自ら力でガンガン向かって行くのではなく、

向かって来た相手に対し、その力を利用し気が付いた時には、相手が宙に

舞うと言うもの。


もともと合気道自体、自ら攻撃をする武道ではなく、あくまでも相手の

攻撃から身を守るために考案されたもののように思える。


闘いたくはないが、相手が襲って来たのであれば、最小限の力でかわして、

間接等を固める事により、相手にも自分にも余り被害が出ないような形で

相手の戦意を削ぐと言う思想ではないだろうか(一応打撃技もある事はあ

るようであるが)。


専守防衛の今の日本の姿に重ね合わせて見る事が出来るとも言える。


欧米人は何かと「ディベート」と言う名の「言葉のボクシング」で相手を

言い負かすことによって、自分の社会的優位性を保とうとする傾向がある。


それに対し日本人は、なるべく相手を傷つけないように、円満に物事

を解決したいと言う思いが強く働く。


日本人はディベート力が弱いと言われるが、逆の言い方をすれば、

欧米人は物事を円満に解決する能力に劣ると言う事も言えるだろう。


アングロサクソンは「ディベート」による勝利が、この世の中の正義で

あり、それがスタンダードだと思っている。


そう言う姿勢で果たして価値観の違う、文化の異なる国家と仲良くやって

いけるのだろうか?。アラブ諸国との混迷を極める関係を見ていてふと

そう思ってしまう。



何でも白黒はっきりさせるのが良いと言う訳ではないのかも知れない。


それは、あらゆる物事の「答え」は一つではないからだ。


「玉虫色」大いに結構と言う場合もあるのだ。



20世紀は先述したような、ディベートで相手を打ち負かす欧米的は

「言葉のボクシング」がグローバルスタンダードだと言われて来た。


しかし、世界中を見渡してみて、果たしてそれで上手く行っている国

がどこにあるだろうか?。アメリカは「訴訟大国」と呼ばれ、コーヒー

をこぼされたと言っては訴訟になる。アジアにおいても例え自分達に非が

あっても謝れば負けとの発想から何かと難癖を付けて相手のせいにしよう

と言う風潮も見受けられる(一部の国ではあるが)。


果たしてこのような状況が、平和な世界へと向かって進化しているのだろう

か?。本当にこの方向で良いのだろうか?、と疑問を抱かざるを得ない状況

である。


言葉のボクシングとは、相手が言って来たことを真っ向から否定し、こちらの

思う所を科学的に論理的に述べ相手をぐうの音も出ないような状況に追い込み

打ち負かすと言うものだ。言う事を聞かなければ力でねじ伏せると言う事に

他ならない。


これだと、確かに相手は頭では負けを認めるかも知れないが、心の中では

納得いかず、その思いがいつまでもくすぶり続ける。そして常にどこかで

やり返す機会を窺っていると言う状況が続いてしまう。


これを「言葉の合気道」方式に切り替えると、相手の言って来たことを先ずは

受け止める(受け入れるのではない)。それから、「なる程あなたの言う事は

確かに一利ある。でもこう言う方法もあるよね」と言ってくるっと翻って相手に

こちらの要求を伝える。


こちらが一旦相手の話しを受け止めた手前、相手もこちらの話しを聞かざるを

得ない状況になり、お互いの「落としどころ」を見つけやすくなると言う事に

なるのだ。


こうする事によって、「ゼロサム」ではなく、「ウインウイン」の関係を築く

ことが出来るのではないだろうか。




これは言葉だけではなく、私達の行動全般についても言える事。


行動を決めているのは、私達の心(脳でも構わない)。


つまり私達自身が「心の合気道」と言う概念を持って、考え、話し、行動する

ことによって周りに及ぼす影響と言うものが見えて来るのではないだろうか。


相手の言葉を頭から否定するのではなく、一度受け止めてみる。


相手の行動をすぐに否定するのではなく、一度受け止めて理由を聞いてみる。


これらの行動一つで、私達の生活、人生が合気道のように「円を描き」

正の方向へ回りだすことだろう。


そのような個人が集まった家庭において、「家庭の合気道化」が始まり、

「社会の合気道化」、「国家の合気道化」・・・と続く。


そして、いつの日か「心の合気道」がグローバルスタンダードになる

日がやって来るのかも知れない。


ところで、あなたは「心の合気道」何段?。

ある日曜日の朝。

とても天気が良いので、散歩がてら近所の量販店に足を運んだ。


特に何を買うでもなく、ぶらぶらと店内を散策し、扇風機売り場で羽の

ない扇風機をもの珍しがり、スイッチを入れて風に当たったり首を降らして

見たりする。扇風機もピンからキリまであり、デザイン重視のやつは値段も

それなりだったりする。扇風機と言うより、もはやインテリアの一部だったりする。


ノートPCやiスマホなどが展示されているコーナーへ行き、最新機種を触ったり

いじったりしていると、近くの店員さんがやってきて、最新機種のPCの商品説明

を始めた。


「この商品は○○に発売になったばかりで、○○で有名な○○会社がスーパー

コンピュータにも利用された最先端の○○と言う技術を使っていて、スペックも

他の同額の機種と比べても・・・・・」という細かな商品説明を長々と続いていたの

であった。


また、ある日曜日の朝方、同様に近所の量販店に散歩に行った。


先日は混んでいた座れなかったマッサージチェアーに座りひと時の「極楽」気分

を味わう。その後、店内を色々と散策していると、先日同様に携帯、PC売り場に

たどり着いてしまった。


また、いつものごとく、スマホの画面に触れ、PCをカチャカチャとやり始めた。

するとそこへ店員らしき人が。


店員:「こんにちは」

私:「こんにちは」

店員:「何かご不明な点があれば何でも聞いて下さい」


と言って、近くの商品のディスプレイを直したり、書類のチェックを始めた。

特に買うつもりで来ていなかったが、その店員の客にプレッシャーを与え

ない自然な振る舞いについつい色々聞いて見たくなり、最新のPCの説明

をお願いする。


「このPCは値段の割にはなかなかいい製品です。これ一台あれば、

家族で行かれた旅行写真の整理編集から、撮影した動画の編集まで何でも

出来ちゃいます。おまけに使い方が簡単で、お子様からおじいちゃんまで

幅広い年代の方が、使いやすいと言って喜んで頂いています。只今人気

ナンバーワンの商品です」。


さあ、あなたなら前者の店員の説明と後者の店員の説明、どちらが気になる

だろうか。


人は、理性で商品を購入すると言う事は少ない。


その商品を購入した場合のメリットが想像出来た時に、心が動かされ

購入と言う行動に移るのだ。


つまり、セールス及びマーケット戦略と言うものは、以下に商品の良さを

伝える事ではない。


いかに相手の心を動かすことの出来る文章や言葉を相手に掛けてあげる

事が出来るかと言う事である。


そのためには、先ず相手に安心感を与えて、心を開いてもらう必要がある。

開いた心に購入した時のメリットを想像できるような文章や言葉をかけて

あげる事によって相手の「情」が動き購入と言う行動に出るのだ。


映画のポスターやラジオのCMを見聞きしていると、心を動かされるキャッチ

コピーや言葉を耳にすることがある。


米国の「キング牧師」の言葉にも、当時の人々の心を動かすキャッチコピーが

活用されていたようだ。

彼は、とある集会の演説で

「I HAVE A DRIME」(私には夢がある)と述べ、多くの人々の心を動かした。


もし、これが「I HAVE A PLANE」と言っていたら恐らく多くの人の心に突き

刺さる事はなかっただろう。


それほど、人の「情」を動かせると言うのは大きな「力」なのである。


かと言って口先だけの「言葉のテクニック」を駆使してコピーを書いたとしても

時間とともに人の心は離れて行くもの。


その人のビジョンを中心として、言葉のテクニックを駆使していったとき、

永きに渡り人の「情」を動かし、多くのものを得る事が出来る存在となるだろう。


人の「情」を動かす「力」はスゴイものだ。


だからこそ、私達は高い「倫理観」を持って言葉を発するべきである。


高い倫理観から発せられる言葉や文章は多くの人達の「情」を揺り動かし、

多くのプラスの影響を与えてくれるだろう。


そんな自分に私もなりたい。
気が付けば社会人になって○○年。

「いい大人」と言われるような年齢になった。


その昔、江戸時代に於いては13歳で「元服」と言われ、一人前の大人

として扱われていた事を思うと、今の精神年齢の低さはどうなんだろうと

思ってしまう。


この年になって「夢」見たいな事を語ると

「いい年して何いってんの?」と言う奴が必ず現れてくる。



人生いくつになっても「ドリームキラー」、(常識派)と呼ばれる

人達が必ず一人はいたりする。



彼らは世間の「常識」に照らし合わせて至極まっとうな事を言っており、

理性のある「常識人」と呼ばれる人達だったりする。


単なる「嫌味」や「やっかみ」からの発言であれば、無視すればいいだけ

だが、その言葉が「心からの善意」であった場合、少々やっかいだ。



「20世紀の常識が21世紀の非常識になる」と言った人がいた。


また、彼は「20世紀の命綱が21世紀には命取りになる」とも言った。



時代が変われば当然常識の捉え方も変わる。



その事に気が付かずにいると、時代に置き去りにされてしまう。


勿論、時代が変わっても「不変」でなければならないものも存在する。


「親を敬う心」「夫婦愛」「親子愛」「兄弟愛」「道徳心」「公共心」など

人間の「本質」に関する部分がそれにあたるだろう。

※残念ながらこの部分は劣化しているように思えてならないが。


しかし、私達を取り巻く環境の変化に伴い、その手法に関しては変わらざるを

得ない時代に来ていると言える。


20世紀においては、「寄らば大樹」的な事が正しいとされた。


それは、就職と言うよりも「就社」と言った方がぴったり当てはまるような

時代であり、一生を会社と共に添い遂げようと言う考えであった。


ところが、近年の企業生存率(※注1)の統計データを見ると、30年以上生存

する企業の割合は、0.025%だと言うのだ。

※注1:人間で言うところの平均寿命のようなもの。



つまり、10000人の新卒者が10000社に入社したとして、同じ会社で定年

まで勤め上げる事が出来る人間は、僅か2.5人と言う事になる。


更に万が一、ラッキーにも定年まで勤め上げたとしても、日本人の平均寿命は

男性が79歳、女性に至っては86歳である。


定年後から「三途の川」を渡るまで20年の期間何もしないと言う事は、

生きた屍に等しい。


定年後のお父さんが、何もする事がなく、急に老け込んでしまうと言う

話しを耳にする。


彼らは、「仕事が人生」と考えて歩んできた、20世紀型の人達だ。


また、彼らは「会社からの指示」の下、その行動を決定して来た人達だ。


そういう習慣が染みついた人間は、なかなか自分から新しい事にチャレンジ

しようと言う発想が出てこない。


物事を始めるのに「遅すぎる」と言う事はない。


しかし、その従属マインドを自発的マインドに転換するのは、難しいと

言わざるを得ない。



それには、本人によっぽどの危機感か変わりたいと言う強い意志がないと

厳しいと言うのが本当のところだろう。



故に今の20代~40代の人達は、今のうちからそういうマインドを

養っていって欲しい。



そして、今、50代、60代の人達は自発的マインドを持って

新たな事にチャレンジして欲しい。



何も考えず、何も行動しない人間は、衰退して行くのみである。



「いい年こいて馬鹿じゃねーの」は最大の褒め言葉。


衰退する常識に認められるようでは、同じく衰退の道を歩むのみ。


そこから批判される者こそ、正しい道を歩んでいると心得よ。


「ONEアクション1ページ。ONEチャレンジ1ページ」

こうしてあなたの人生物語のページはめくられて行くのである。




おしまい。