Redの未来は自分で創る

Redの未来は自分で創る

あなたは自分が変われると思ってますか?。時間が未来から現在に向かって流れている、この事を知ればあなたは変われる。

ブログを訪問して頂き「感謝、感謝」。

未来に向けて物心両面で自立した自分になるための情報を発信するブログ。

日々仕入れた情報や行動して気が付いたこと、物事の捉え方など私の人生に

プラスになった情報をあなたにもシェアして行くつもり。

気が付くと毎日このブログを見ずには寝られない、そんな生活の一部的な

香りのするブログになればと思っている。ただし、無理して書くつもりはな~い。

でも少しは自分にプレッシャーをかけてみる。


Amebaでブログを始めよう!
先日来マンションの街灯がチカチカしている。

「公共の場だし、管理者か誰かが直してくれるだろう」と思っていた。

ところが、1週間経っても10日経っても一向に直す気配がない。

仕方なく管理会社に連絡。

直ぐに対応するとのことだったが、これまた1週間経ってもチカチカしたまま。

再度電話し、1週間前に街灯の修理を依頼したこととまだ直っていない旨を
伝える。

担当者に伝えておきますとの返答。

更に1週間経過するも相変わらずチカチカしている。

3度目の電話を入れ、既に2度連絡しているが未だ対処されていない。
理由は何なのか?いつまでに直してくれるのかをやんわりと問いただす。

翌日、街灯が復旧。


更に数日後、今度はマンション向いの道路沿いの街灯がチカチカしている
のを発見(何故かよー見つける)。

「まあ、道路沿いやし誰か連絡するやろ」と考え放置。

ところが、これも1週間経っても2週間経っても直る気配なし。

仕方なく市役所に連絡。

住所を伝えると調べてから折り返すとの返事。

暫くして市役所の道路課と言うことろから連絡があり、街灯が市役所の
管理物ではなく、自分が住んでいる「区」の管理物である事が判明。

市役所より管理者である「区」の方に連絡してくれるとのこと。


ここ1~2か月に起きた出来事から感じた事が。


人は

「その他大勢」

の中にいると

「誰かがやってくれるだろう」と他人或は環境任せな態度を取りがち。


人は得てして面倒臭がりやである。


その事をするのが、面倒臭いのだ。


更にはそのような行動を起こすのにはエネルギーがいるため中々
行動に移す事が難しいのではないだろうか。


ところが、みんながみんなそんな行動を取っていると物事は一歩も
前に進む事はない。


であれば、初めから見付けたら俺がやると言う位の気持ちが必要だろう。


そうすることによって、世の中の役に立つと同時に自分自身にも行動力
と言うものが芽生えてくるのではなかろうか。


人は自分自身に直接ふりかかって来る火の粉には、即座に瞬発力を発揮
し、行動に移す事が出来るが、公共のため、他人のためと言う自分との関連
が明確でない事に対する事に対しては、なかなか行動に写し辛い。


しかし、先程の「俺がやる」との思いがあれば、何度か繰り返していくうちに
特にエネルギーを使わずとも、自然な形でこれらの行動を起こせるような
「習慣」が身に付く。

それらの習慣はきっとあなたを大きく変えてくれるに違いあい。







人って本当に変われると思いますか?

「何言ってるの今更。変われると思うからこんなブログ書いてるんでしょ?」
と言う言葉が返って来そうですね。

昨年辺りから環境が変わり年上の人達と付き合う機会が多くなりました。

そんな中感じる事は、人は年を取ると頑固になり自分の意見が正しいと
思い込んでしまう傾向が強いということ。

苫米地さんが言うところの「スコトーマ」が掛り、思い込んでいる以外の
方法があると言う事自体認めようとしない人達があまりにも多い事に愕然
としてしまった。

中には年齢が行っても常に学び続けたいと言う姿勢の人もおり、そういう方
は謙虚に周りの意見にも耳を傾けると言う傾向があるが、殆どの場合そうでは
ないと言う事実。

一歩引いて「客観的」に見れば直ぐに分かる事でも引いて見ると言う発想すら
出来こない。そこにすらスコトーマが掛っていると言ってもいいだろう。

そして、このスコトーマの原因の一つとして考えられるのが「プライド」と言う
やつ。

「俺はこの方法で〇〇年やって来た。少々面倒臭いが変更する程でもない」
と言う声が聞こえて来そうな雰囲気。

昨日のテレビで「高齢者」を積極的に採用する企業が増えてきている、と言う
特集をやっていた。

企業側としては「即戦力」であり、真面目て辛抱強くコミュニケーション能力
に優れている高齢者はとても魅力的に映り始めている。

しかし、そこでの問題点は、その高齢者を使いこなす側の人間は、自分より
はるかに年下であり、かつては自分が指導していた年齢の者達であると
いうこと。

かつてのプライドが邪魔をし、悩み職場を去っていく年配者もいると言う。

プライドが邪魔をして自分の「コンフォートゾーン」を抜けられずにいる
典型のような場面でした。

そういうプライドは、いつかどこかの茶飲み話の時にでも思い出すとして
今現在の環境に対応して行くためには、素直な心で学ばせて頂くと言う
姿勢がとても重要だと思う。

「低い低いと思って高いのが、尿酸値とプライド」と言った人がいた(笑)。

育つ程 頭を垂れる 稲穂かな



ビジネスの現場において何か新しい事を提案すると

「それは無理」

「上手くいかない」

「何で変える必要があるの?」

と言う人達がいる。


何故変えたらだめなのか聞くと

「今までやった事ないから」

「新しい事をやって上手く行かなかったらどうするの?」

「社長や上司がやれと言ってないから」

など理由は消極的なものばかり。


人間は「何だか不便だな」と思っても、自分から現状を変更したり

する事を嫌がる生き物。

特に日本のように「失敗」が「経験」として見られず、失敗しないことを

良しとする環境においては尚更であろう。

そしてその不便な環境もやっているうちに「当たり前」の環境となり

特に問題がないように時は過ぎて行く。


皆さんの家庭や職場においてもそうではないだろうか?


「なんかこれ面倒臭いな」

「これやるの時間がかかるな、もう少し効率的に出来ないかな」

と思っても数日すると馴れてしまい、違和感を感じ辛くなってしまうと

言うことが。


直観的に違和感を感じると言う事は、やはりどこかおかしいのである。


私達の「脳」は優秀で、それを瞬間的に感じとってしまうのだ。

しかしまた、優秀であるが故に適応してしまうのも早いと言える。


故に「違和感を感じた時」が対応時なのだ。


あなたが組織の一員であれば、提案するだけでもして見てはどうだろうか?

もしそうせずに「どうせ言っても無駄だし」と言う思いを持つようであれば

今後あなたの「発想」と言うものは増々内向きな縮こまったものにならざると

得ないだろう。


そうならないためにも、例え現状がなかなか変わらなかったとしても

前向きな提案をし続ける「行動力」が必要なのではないだろうか?