これまでのストーリー
夕暮れ時、よしきりが啼く。
瞬間、その啼き声か止まる。
芦がざわめき、そういう時に多田さんの顔が浮かぶ。
川尻でも、潮が満ちてくると分かる。
潮の香りがするからだ。
そこが川の水の香りとの違いだ。
暮れてゆく多摩川、船底を叩く波の音、ゆらゆらと揺れて、よしきりは眠った。
夕空を啼きながら、カラスが川崎側に飛んでいく。
鳥は、東京と神奈川を自由に行き来する。
そのカラスも電柱に巣を作って、巣を取り払われたニュースが新聞に載っていた。
ゴミを漁り電柱に巣を作って嫌われる。
ホームレスのように肩身の狭い思いを、カラスもしているのだろう。
ホームレスでも石川さんのように、住むところを持っている人は、いつもさっぱりとした身なりで誰もホームレスだとは思わない。
だが、寝るところもなく地下道に寝て、ゴミを漁って生活していると、やはり見た目もだらしなくなっていく。
四月の川の水も海の水も、まだ冷たい。
だが、多摩川の河原にはツクシが育ち、浜大根や高菜が育つので、食べ物はあった。
ビノス貝の佃煮と握り飯を石川さんに届けて、私は川崎競輪に行った。
競輪場は、お茶、昆布茶、お湯は無料だから、インスタントラーメンを作って食べるホームレスも多い。
塩を振りかけた握り飯を小さく分けて、昆布茶の中に入れて食べると満足感はある。
公営の競輪場は広い。
その中で湯茶のサービスが無料だから、多くのホームレスは助かっている。
パチンコ屋には、金もなく中に入って行くことは許されない。
捨てられた車券がときに間違えて捨てられていて、思わぬ拾いものをすることもある。
私は、勝ったらご馳走を食べ、負けたら銭湯に入って身体を温めて寝る。
多田さんの居ない河原は、何か寒々としていて馴染めない。
それに、沢山居たホームレスも戻って来ないから、寂しさが一段と深い。
変わらないのは、よしきりの声と芦のざわめき、川面に跳ねる鯔、鴎、烏も、その数は変わっていない。
船は借り物で、帰る時には返さなくてはならない。
朝は河口でせいごを釣った。
十センチくらいの大きさだが、四十匹くらい釣って、塩漬けにして開いて船の中で干した。
それを焼いて握り飯六個と一緒に石川さんに届けて、競馬に行った。
パドックに沢山の人は居るが、多くは新聞を持っていないので、ホームレスの人たちだろうか。
私は、一応新聞と馬券を持っているので、客のつもりだ。
時に、おでんやもつ煮込みを食べる。
天気が良かったので、その日競馬を途中で止め東京湾に出て、羽田空港の外側まで遠出した。
日暮れまでの間にビノス貝を掘り、生け簀の中で砂を吐かせた。
多摩川の川尻にもどると、すっかり日が暮れていたが、川面には誰一人船を出していない。
そろそろ船を芦の間に入れて、錨を落とした。
ビノス貝を掘って、八十過ぎの身体の両腕が悲鳴を上げていた。
それでも、ガスコンロの上てビノス貝を焼き、開いた貝の真ん中に刻んだネギと春菊を入れて、貝の身をハサミで切って煮た。
アルコールランプの灯りは、仄暗い。
窓の外に灯りはない。
貝の焼ける香りと芦原のざわめき、今年が最後の年だと思うと、無性に淋しさが込み上げてきた。
八十一歳で最後となると、生涯、また船の上のホームレス生活はない。
食べ終わって寂しくなって、ハモニカを吹いた。
悲しい音色と窓に当たる芦の葉のざわめき、私の前から去っていった友達、多田さんの酔った赤ら顔がくっきりと瞳の中に浮かぶ。
鴨たちが餌を求めているのか、葉擦れのの中に啼く声が聞こえてきた。
眠りに落ちるまで、葉擦れの音を聞く。
それと波の船底を打つ音を聞いていた。
いつの間にか眠っていた。
窓を開けると、川風が吹き込んでくる。
芦の間から、川崎の街の灯りが見えていた。
昼は窓を開けても蚊がいない。
聞こえるのは、芦の葉を揺らす風の音ばかり。
揺れているうちに、また眠っていた。
目が覚めると、よしきりの声がする。
窓の外で啼いている。
よしきりは、ふるさとの塩田にもいた。
その啼き声を聞いて育った。
ふるさとには、うぐいすの声、ひばりの声、よしきりの声がいつもあった。
八十歳は、人生の終わりだ。
皆、八十前後で亡くなっていく。
それを思うと、多田さんの終わり方も悪くなかった気がする。
本当の多田さんの最期がどうだったのか、真実はわからない。
アメリカにいるときは、ネットで世界中のニュースがわかっていたのに、日本に住んでテレビもラジオもない生活をしていると、世の中の様子が全くわからない。
だが、それがホームレスの生活であり、世界がどう変わっても気にすることはないのだ。
つづく


