これまでのストーリー






ビノス貝を掘り、その貝の中身を餌に、せいごを釣った。


ビノス貝の佃煮は石川さんが大好きだ。


握り飯と貝の佃煮は、盆と正月だと言う。


それくらい嬉しいらしい。


多摩川の橋を登るのが楽になったと言う。


多田さんは年金をもらっていたので働く必要はないのだが、石川さんは違う。


毎日、通勤するかのように、朝早く出かける。


そうしないと缶が集まらない。


朝五時頃に出て行って、一時頃帰って来る。


皆が求める物を集めるのは、人より早く起き、行動する必要がある。


石川さんも人より早く仕事に出て行く。


リヤカーを付けて遠くに行くのは大変だから、遠くへ行くときは自転車だけで行く。


私の日課は、朝は鯵やせいごを釣って、昼頃から競輪に行く。


朝飯は食べない日が多い。


コーヒーだけの日も多い。


夕方は、貝の佃煮で飯を食べ、船で原稿を書きながら手長海老を釣る。


魚の塩焼きを大根おろしで食べ、出来るだけ新鮮な魚を食べて帰るようにしている。


魚を焼きながら、もう故郷の日本に帰ることもないだろうと思うと、淋しさが込み上げきて、原稿を書く気にもならない。


終わりと思わない方がいいのかも知れない。


子どもたちは、私が死ぬとは思っていない。


事故でも病気でも、床に就くことはなかった。


そういう姿を見て育ったからだ。


金遣いの荒い私も家内も、貯金はなかった。


朝早くから夜中まで働いていたから、死ぬ気がしないらしい。


そして、八十過ぎでも船の中でホームレスの生活をしている。


どういう所でもぐっすりと眠る。


それから、何でも食べる。


タンポポ、どくだみ、西洋山ごぼう、これらの植物は毒草に分類されていて、春の新芽の頃だけだが、私は食べている。


日本の公園や多摩川の河原にも育っているが、食べる人はいない。


日本人は、猛毒のあるフグも食べる。


その食べ方を、知っているかいないかだ。


きのこも、間違うと死ぬ人がいる。


漢方薬の多くは毒草だ。


毒をもって病気を治すというのだから、葉が身体にいい訳がない。


私は、毎日、鯵やせいごの干物を作った。


アメリカに持って帰って、多摩川を思い出すためだ。


アメリカには潮の香りがない。


魚の干物も、私の街では手に入らない。


東京湾も工業廃水はなくなったが、浄化した下水が流れ込んでいる。


数千万人分の糞尿を処理しているのだ。


それが、ある意味、湾内を豊かにしている。


私は、親しんだ多摩川と東京湾にもう帰って来ることはないと思うと、これで終わりだと決めつけたくはなかった。


また一人で来るかもしれないからだ。

 

日本にいる時間を少しも無駄にしたくないので、味わいながら行動していた。


この東京でも、多摩川の川尻には商業施設も船着場もなく、無限のように広がる芦原とよしきりの啼き声があった。


鳥の啼き声も美声だと、人がそれを聞きに来る。


だが、よしきりは誰も相手にしない。


そこが、私は気に入っている。


そんな芦の中だけで生活している小鳥だが、遠く東南アジアまで渡る。


よしきりは、芦を折ってその中にいる虫を食べるから、年中エサはあると思うのだが、その虫が冬には蛾になってしまうのだろうか。


冬は南に渡る。


浜大根も今が食べ時だ。


私は、戦後の何もない時に育った。


それで、食べられるものが自然の中にある事を知った。


だから、生まれつきホームレスになれる才能を学習したから、時代が変わっても、それで助かっている。


汽水域というのは、潮の満ち引きで水際が変わる。


そういう所を好む魚がいる。


鯉や鮒はそういう所にはいない。


私は金がなくなったら、雑炊を食べる。


ジャガイモや里芋は買うが、浜大根や芹、タンポポは河原にある。


小魚や貝は、佃煮にしておけば数日は生きられる。


貧乏なときは、金を使わない工夫をする。


一人だったら、数日食べなくても平気だ。


カレーもいいのだが、何日も続くと飽きる。


私がホームレスの生活方法の本を書いても、ホームレスの連中は読んでくれない。


それに、ホームレスができる人は本を読んで、ホームレスの改善をしようとは思わないだろう。


自分の生活を改善しようと思う人は、ホームレスにはならない。

                   つづく