これまでのストーリー


日本人の中では変わり者だから、入学式、卒業式が嫌いで、出来る限り遠慮している。

自身の学生時代に出席したのは、小学校の卒業式だけだ。

私だって、五十年もアメリカ生活を送ったのだから、アメリカの友達が多い。

だが残念なことに、アメリカのいい男友達は短命で、五十代、六十代で逝ってしまった。

末期癌で余命一週間の時、見舞いに行った。

「あと一週間って言われたけど、もう四日過ぎたから、あと三日だな。ヒロ、頼みがあるんだけど」

「そうか、出来る事ならな」

「出来る、出来る。俺が死んだら、ジェニーを頼む」

「うん、出来るだけ手伝うよ」

「そうじゃない。俺、入院してるだろう。ジェニー、寂しいんだって。俺が死んだら、時々泊まってくれ」

「バカヤロウ。一日でも長生きして、ジェニーの喜ぶことしてやれ」

ジェニーがどう思ったのかは知らない。

勿論、それがジェリーの最後のジョークだったが、ジェニーは笑わずに言葉もなく、じっとジェリーを見つめていて、その目には涙が光っていた。

元々、ジョークで人を笑わせ続けた男だったが、最後のジョークは笑えなかった。

アメリカ人は、死の直前までジョークの言える男達がいる。

国民性の違いなのだろう。

ジェリーの棺を持ち上げたが、軽かった。

その軽さが哀れで泣いてしまった。

私の交友関係は、アメリカ人、日本の同窓生、アメリカで生活している同年輩の、『短調』、『新植林』、の友達だが、退職してからは、『短調』、『新植林』に関わっている人達が多くなった。

日本人の社会は、羅府新報新聞を中心に動いているようだが、私は羅府新報をとっていない。

私の仲間でも、とっていないのは私ぐらいで、切り抜きはよく送ってもらっていた。

五年の間に何となく、ロサンゼルスを中心に活躍されている人も見えてきた。

まぁどちらにしても日系文学は先細りで、数が増える事はないのだろうが、今、昭和の初期生まれの人たちが精力的に活躍されていて、花を咲かせている。
             つづく