連休に入りました。
さて、結社のHPより離れたので、少し枷が外れたのを感じています。
これまでより踏み込んだことも書いていこうと思います。
まず円虹のHPより慌てて撤退したのは、少々あやしい結社より執拗な勧誘を受ける事案があったからだと説明しておきます。
現在に至るまで多い時は日に2度の連絡が来ています。
でも、相手は決して名前を名乗らないのです。何度問うても「俳句の者です」としか答えてくれないのです。
で、この場でもはっきり宣言しておきます。名前も名乗らないような方からの電話には出ませんし、勧誘にも乗りません。
詐欺の多い昨今、これは自衛のために当たり前のことです。
さあ、いつものつぶやきに入りましょうか。
久しぶりに義母と義父のお墓参りに行ってきました。
母はすっかり耳が遠くなっており、聞こえていないのに聞こえているふりをします。そのたびに周囲は目配せをして「聞こえていないね」と合図しあうのです。これが私は本当に嫌です。
義母は88歳。平均寿命を過ぎていても杖は不要だし、独りで生活しています。
自他ともに認めるたいそう我儘な性格上、実の娘とも同居出来ないという事情もありますが、非常にしっかりしています。
だからこそ、この先も頑張って欲しいのですが、補聴器は頑として受け入れません。
耳が遠いと自覚しているのに、補聴器という響きが嫌なのでしょう。補聴器=老人というイメージがあるが故だと推察されます。
日本人はどうして”若さ”に執着するのでしょうか?58歳の同僚に手続き上年齢を聞いたところ非常に怒られたのは、彼女が自分の実年齢より自分が若いと自負していることの象徴でしょう。だから彼女にとって、年齢を聴くことがセクハラになるのです。
でも、セクハラを意図した問いとそうではない問い、区別する必要はあると思います。事実は事実、若く見えようが老けて見えようが、自分の歳は一つですから。
で、補聴器問題です。耳が聞こえないというのは非常に危険です。後ろから迫る自転車にも気が付かないし、非常ベルにも気が付かないのです。恥ずかしがらずに補聴器を使うことで、認知症も防ぐことができます。
なぜなら耳が遠いということは、脳に入る情報が減るのでそれだけ脳が退化するのです。
耳が聞こえないのに聞こえるふりをして周囲に笑われるよりも、堂々と補聴器をつけた方がいい。
それに「あの人総入れ歯なんだって」という陰口は聞いても「あのひとは補聴器つけてる」という陰口は聞いたことが有りません。思ったよりも人は他人には無関心です。
補聴器、つけませんか?それも両耳につけるのがおすすめです。西洋のスタンダードですよ。
誰もが皆いずれは耳が遠くなります。