脳卒中で倒れてから7回目の春を迎えた。病院内にいた時から自分の脚で歩き、時には軽いジョギングをしていた体力自慢の私。昨年の秋には京都に行き、伏見稲荷から東福寺、高台寺から鶴橋、梅田と22000歩も杖も使わずあるき回り完全に慢心していた。

 

元々横浜に済んでいる頃からロードバイクが趣味であったがさすがに倒れてから自転車には乗っていなかった。バランス面での不安があったのだが近頃の世界的なロードバイクブームにYouTuberもロードバイク趣味が一気に増えた。そこで我を忘れて熱中し、すっかり健常者気取りで考えて自分の部屋にあったロードバイクをオーバーホールしてみた。古いタイヤを新品に交換し、注油、グリスアップし、盗難防止の鍵も購入し、すっかり木に登ったブタさんは豪快に立ちごけをかまして麻痺している左半身しこたま打ってしまった。。。肘・膝・指、地だらけである。

 

今回でロードバイクでコケたのは人生二度目である。初めて買った1986年5月23日に購入店の逗子から横浜港まで親友と走り、山下公園で別れて実家のある旭区までの15km、激坂で登りきれず足が攣り、立ちごけしたのであった。子供の補助輪外しを思い浮かべると分かりやすいが補助輪をしているように親に抑えてもらい勢いが付いたらそっと補助を離す。つまり勢いが付くまでが一番不安定なのだ。

 

私はビンディングペダルのクリートが届かずそこの薄いスニーカーで跨ってしまった。これは備忘録であり、記事ではない。気付きを書いているに過ぎない。初診者や力の弱い子供や女性がコケるのは決まって停車時・急制動時・急坂などでの超低速時だ。そこを気をつけなければまずは跨ることに慣れる練習をする。

最近都市伝説はテレビでもネットでも人気らしい。知識レベルの高い人ほど陰謀論を信じる傾向にあるそうだが私も結構信じている。例えばハリウッド。イルミナティは世の中を操る道具として3Sを使っていると言われている。Sports,Screen,Sexというのがそれだがチャンネル数が増えて今はBS,CS入り乱れているがそのどれもがScreenである。映し出されるものでサブリミナル効果を狙ったものもあるかまではわからないが調べていくと不思議なことにぶち当たる。それはバブル前から人気の出たロードバイクの世界。当時はフランスの英雄ベルナール・イノーが最後の優勝を狙いアメリカノンかものレモンを後継者に指名し二人でアシストをし合いつつ対決して最後はレモンが勝利したところが人気のあったイノーは購買力にまで波及することはなかった。2000年代に大活躍したアメリカのランス・アームストロングのツール・ド・フランスの7連覇。偉業なのにあまり人気が出なかった。結局はドーピング違反で記録もすべて剥奪された。本当に強くはなかったのか。多分初回の優勝からドーピングをしていたとは思えない。3度目のしょうじきくらいからつかったのではないのか?アメリカのトークショーで「ドーピングせずにツール・ド・フランスに勝てたと思いますか?」という直球質問に対しては「無理だろうね。」と答えている。ツールのような特に長期のレースにおいてドーピングは非常に有利だし昔から自転車界では血液ドーピングは跡を絶たない。


そしてきれいになったかに見えたロードバイク界に現れた宇宙人【ファビアン・カンチェラーラ】がその人である。タイムトライアルでは2つ前の選手を抜き去る猛烈なスピードと石畳の激坂で座ったままアタックをかけて世界チャンピオンを1分ぶっちぎる離れ業。カンチェラーラが乗るバイクSPECIALIZED、TARMACは世界中でバカ売れ。そして2016年シーズンで温帯するまでの三年間はTREKに鞍替え。そしてまたTREKは売れる売れる。カンチェが被っているヘルメット、

履いている靴。そんなものが飛ぶように売れた。選手と同じスペックで買えば軽自動車一台分はゆうにかかる費用。誰が乗るの?大企業の年収五千万の相談役とか会長とかそういう方々がジョギングに変わる健康維持手段としてロードバイクをかう。世界は大儲け。煽りに載せられた若者もフルローンでロードバイクを買う。街を歩けばBianchiだPINARELLOだで良いバイクばかり。最も私も高校生で40万超のロードバイクに乗っていたがとうじはにねんかんほどばいとすればかえた。今は車一台分。カーボンの骨組みに払う。ちなみにカンチェラーラも体のドーピングはしていないがモーターをつけていた疑惑が持たれている。抜かされたボーネンが「カンチェラーラはモーターアシストを使ったと思うか?」の

質問に「yes」と言ってしまったとか。炎上している。モーターで買ったと言われたときはスイスの国旗降って愛想振りまいてご機嫌だったがその後のパリルーベで苦労して買ったときは涙を流して喜んだ。多分あれが彼の力。だから感極まる。というわけでいまだにスポーツに操られている我々と思うのは私だけなのだろうか。

私のロードバイク人生は高校一年の時夏休み明けに同級生のSSKがロードレーサーを買ったという話を聞いたことが始めだった。何しろ自転車など高くても69800円の広告を見て驚いていた頃に彼の購入価格が15万と聞いたから驚きもひとしお、しかし興味を持ったことは確かだった。ロードレーサーという代物もたまたま見た雑誌に乗っていて興味を持った。


何でもロードレーサーとはプロの使う競技用の自転車で主にヨーロッパの山岳レースなどで使われるものらしいということだけは分かった。少し興味を示したことにSSKは歓び会うたびにその性能の素晴らしさを語り始めた。私も家から地元駅までは自転車通学だったことや子供の頃から割と遠出をしていたことから自転車には無意味な自信があった。パワーも地元地域では有名だったので根拠もないものだったが。

そしてそれから半年ほど過ぎた頃にSSKと私は昼休みは図書館の友になっていた。


国土地理院の航空写真を見ては「ここに行こう。」とか「ここで待ち合わせよう」とか妄想を繰り広げていたのだ。私もやることがないので付き合っていたが本当に毎日よくやるものだと思っていた。そして次の休みは建国記念日と日曜で連休になるから横浜まで出てこいよという話を急にし始めた。私も特に行きたいわけでもなかったがやることのない暇人であることに変わりなく結局はSSKの策略にハマり、自宅から11km離れた横浜駅近くの開かずの踏切で待ち合わせることとなった。


私の地元はたしかに住所表記は横浜市内ではあったが横浜駅とはかなり離れており、地元の友人が横浜駅まで自転車で行くような人間はいなかった。まさに私は変態だった。?!


私が目的地に着くとすでに真っ白いセーターを着たSSKが満面の笑みで待っていた。ここまで書いていなかったが実は当時の彼は超絶イケメンで街を歩けば女子中学生や高校生が振り返ってヒソヒソ噂をするほどのいい男だった。そのあたりは本人も自覚しており、バッチリポーズを決めていた。


隣には見たこともない美しいブルーの細ーいタイヤの自転車が置かれていた。これは国内大手の宮田工業のチームミヤタというモデルだった。カタログの値段は確か198000円か228000円とかだったと思う。抜群に高いモデルだった。本場ヨーロッパでも勝ったマシンと言う事で有名だったようだ。実は最近このモデルは伝説のTheミヤタシリーズということで宮田から復刻され完成車凡そ90万円の代物である。


それは私の机の後ろにありもう18年乗っていない。




これがそのマシンだが実はこれ私があの1985年の2月11日に見たあのマシンそのものなのである。理由は後述する。元々このTheミヤタだけでも高級でレアなのにこのマシンはそれを輪にかけてレアモノである。このマシンは主に北米をターゲットにした輸出仕様だったからである。フレームサイズも欧米で575mmと身長180cmはないと乗るのが厳しいサイズである。当時のSSKと私は共に173cm程。またがるだけで精一杯だった。

話を踏切に戻そう。開かずの踏切で落ち合った我々は手近な観光スポット、桜木町駅から海側に入った新港ふ頭に行くことを決めた。桜木町駅の隣の道はまだ東横線の高架区間で交通の流れも速かったので私は競輪選手のごとくいきなりアタックをかました。体感で時速50km程度は出ていたと思うがすぐに脚が棒になりSSKに抜き返された。見た目イケメンの彼に先行を許すのは許せない。負けるのは顔だけにしたいと必死に漕いだが何しろ信号からの加速がよく速度のキープもよく一度上げたスピードが落ちない。二人は10分ほどで新港ふ頭の入り口にあったパン屋の前で写真を撮った。
その後、赤レンガに進み彼の美しいロードレーサーと自分の24800円の一応ドロップハンドルだけついた自転車を眺めてすでに憧れ始めていた。
赤レンガは当時テレビドラマで人気のあったあぶない刑事のエンディングでも使われておりSSKは熱く語っていたが私はテレビも見ていなくてチンプンカンプンであった。

次に横浜観光の定番、山下公園へと移動。ここでSSKから「せっかくだからお前乗ってみろよ。」と提案が。。。当時そんな高級品に縁はなく恐る恐る公園内を少しだけ乗らせてもらった。今ならわかるハンドルと本体をつなぐ黒光りするパーツが眩しくて。ステムの事だがタイヤもチューブラータイヤと言うらしいプロが使うものだという。印象はとにかく大きくて路面からの衝撃が直に伝わる硬い乗り心地だけだった。

その日はSSKの体調不良で早々に解散。私はその月からコンビニでバイトを始めた。もちろん遠い目標だがチームミヤタに一直線。男子校でも校内では彼女が出来たとかデートに行くとか言う話題が飛び交う中、色気もなにもない自転車命になってしまった私。少し資金ができれば都内のショップなどを巡りパーツを少しづつ集めた。しかし悪いニュースもあり、なんと宮田の輸出仕様はもう在庫のみで私の目標だった575mmのフレームはもう在庫なしだった。

という訳で買えるものがなくなってしまったのだがこれには奇跡があった。私が毎晩穴の開くほど見つめていた輸出仕様のカタログの撮影に使った完成車が一台倉庫の隅から見つかったと連絡が入ったのだ。これで俄然やる気になった私はバイトのシフトも増やし金を貯めた。そして5月の中間試験の最終日1986年5月23日金曜日に晴れてバイトで手に入れた25万円を握りしめて、SSKの購入した逗子の自転車屋に向かった。

ここの店主が親を連れて買いに行ったボンボンのSSKには色々意地の悪いことをしたらしいが自らバイトで稼いだ私には当時プレミアムのついていたマニア垂涎のパーツを安く譲ってくれた。そして回ためた残りのパーツをSSKの自宅に持ち込み取り付けて記念走行をした。思い出の山下公園まで逗子から16号線を北上した。ここで自分の勘違いに気づく私。SSKに遅れを取った過去はきっとロードレーサーの効果が高いと思っていたがSSKはケイデンスが高く意外にも持久力に優れていた。結局自転車は自分で漕ぐもの。良い物を買ってもいきなり早くなる訳ではなかった。しかもこの日は初乗りにも関わらず逗子から横浜市の西部まで50km以上の距離を走る私にとってはロングライド。最後は地元の坂で脚が釣り危うく転けそうになる。

長すぎるので一部完
 これは北海道のローカル誌に寄稿した内容です。

 西武ライオンズの新しいホームラン王山川選手。彼が目標として選手として尊敬して止まないのがミスター三冠王【落合博満】。落合氏の神主打法のビデオや特集を見まくり研究していたという山川氏がテレビの対談で落合氏と直接会うことに。

 そこで今まで書き溜めたノートに書いた質問をすると短い言葉で返す落合氏。しばらくすると落合氏、「ちょっと振ってご覧」と素振りを促した。降った山川氏、「こんなもんですかね?』と少し照れながら。

すると「そんな振り方でホームラン30本も打ったの?俺がその打ち方したらホームラン30本も打てない。」

理由を尋ねた山川選手に一言。「バットがバックスイングの時に背中側に回ってる。バットは肩のラインより後ろに来てはいけない。」

 ゴルフだって同じという。理由は背中に回るときは左肩を入れるような動きになる。つまり目とボールの距離が変わってしまうからいけないのだそうだ。これは私のスイング論でも全く同じ肩は90度回すがシャフトは体の正面を外れない。それ以上回すとオーバースイングになり、クラブを正確に戻すことは至難の業になる。手を使わなくてはならなくなるから。手は下に落とすだけだから肘が体のストッパーで同じ位置に戻る。高さの管理は必要なくなり、あとは身体を左に向けるだけでボールをシャローに掬える訳です。

背中側にクラブを回すと同義語はオーバースイング。これは右肘が開いているか、手首が折れることでそうなり柔軟性は関係ない。肩が柔らかいとか身体が柔らかいと言い訳する人ほど柔軟体操は苦手だったりする。オーバースイングになる人は一度クラブが背中に回っていないかチェックをしてみてはいかがだろうか?