元保険代理店だった私は接客時によく「五年生存率」という言葉を使いました。その観点で行けば私の5年生存率は100%で無事に、そして何より健康になりました。脳卒中家系の我が家は「母、息子二人」の計3人が脳卒中に罹患した。発症率50%の大変な家である。
さて私の家系の話ばかりしていても意味がないので本題に入る。脳卒中になり、片麻痺になると必ずと言っていいほど行われるのが「利き手交換」という方法。つまり麻痺していない片側に利き手を変える方法で古くから医師、看護師、作業療法士達は率先してこれを行ってきた。私の場合、これを行わなかったのは利き手である右手の反対の左側に麻痺をしたから。しかし実際、病気になったことのない人には理解できないがほとんどの動作で左手も使うのが生活である。医療の現場ではADL(actibity of daily living)と呼ぶがこのADLの向上がリハビリの主たる目標となり、多少個人差はあるものの退院の目安として使われている。私は趣味がギターでキータイピングも得意だった。
つまり両利きに近い特性を持っていた。なので退院直後のキーボードの打てない自分に非常に悔しい思いをしたし、何か自分の頭脳で今後は生計を立てていくしかないと覚悟した。何より動脈硬化が異常値で血管年齢140歳と診断された私にはストレスは大敵であまり根を詰めないように主治医からも言われていた。そして時は流れて退院して3年が経過した一昨年の春にちょっとしたトラブルが起こり、職業訓練をうける必要に迫られた。そして就労支援施設に通い始めたのだった。
一番初めに能力測定を行なったがこれがワープロだった。片手でもそこそこ自信のあった私はなんと一番最初の課題さえクリアできずに終わった。これは非常にショックな出来事でこれが原因で不眠症になった。しかしその後、ある日を境に私のプライドは蘇る。レベル1の課題はおろか、レベル5の難易度の高いものまで一気にこなしたのである。この課題とは例題にある文章を間違いなく打つことなのであるがヤケクソになった私は右手だけのタイピングでなく両手でのタイピングに戻したのである。これをきっかけに両手で打つように戻したのだが昨年春から就労支援施設に通い始め、ワープロの入力の他にも簡単な軽作業を行い、長い間経験をしていなかった集団生活もすることになる。障害者であっても鬱病や出社拒否などの精神的要因が多い通所者との生活は常に見られていることの緊張感などでストレスを解消する術も身につけるのに役立っていると感じる。
そしてこの施設で必ず朝礼の後に行われるのがワープロの10分入力というもので最近はメキメキ力を上げる結果になった。急に左手が動くようになった訳ではなく、動きは悪いがなんとかキー配列通りのタイピングができるようになってきたのである。毎回座るデスクはバラバラだがたまたま隣り合わせたG氏がワープロ検定1級の猛者で入力カウント文字数を聞いてきたことから氏をライバル視するようになったことが復活のきっかけである。まだ入力ミスが多く、ポイントは低いのだが両手で打てている。
腕試しレベルチェックというサイトでは10分間で約1500文字の入力を達成した。他で見ている人の話では相当速く打てているとのことで自信を深めた。まずは小さな一歩からである。
最後に利き手交換の是非に関して。
やるかやらないか目標次第。私は入院中から常に目指すレベルが高く回復が異常に早かった。担当の作業療法士にきくとそれはスポーツ選手が大怪我を負って入院しても割と短期間で退院し元気に現場復帰するのと同じことらしい。つまり、ただ生き残るだけでは意味がないと思うその意識がより高い目標となり自然に早い回復につながるということであった。とにかく私は麻痺した側の手を使う努力をした。ギターも弾けないものの、抱えてコードを押さえてみたりワープロを打つことを繰り返した。特にユーチューブのコメントなどを積極的に書いた。
ワープロの例題などはスラスラ打てても意外に考えている事を文章に打つ方が難しいことに気づいた。まず頭で思いついた文章を頭に描いて言葉にする→それを頭でローマ字に変換する→打つという経路を経て文章は作られる訳でローマ字に変換する行為をする時間が書く速度を遅らせる。
利き手を失った和訳ではない。少し動きが悪くなっただけだ。今麻痺に悩むあなただってパソコンを前にしていきなりスラスラ文字が打てた訳ではない。最初は誰でも指一本でキーをポチポチ押す程度だったに違いない。その初心に返ってもう一度初めからやり直す新入社員の気持ちでやってみてはいかがだろうか。半年もすればかなり打てるようになります。
とても長い文章になりましたが最後まで読んで頂きありがとうございました。これもパソコンで両手で打っています。
