5月22日(日)午後8時24分、父が亡くなった。91歳と10カ月。

 

 4月15日(金)に食事を上手くとれないとのことで入院、5月12日(木)に退院して、新しい施設(老健)に移動。

 ところが、15日(月)には再び入院。その後、病院の医師や看護師と連絡を取り合いつつ、駆け付けるタイミングを計っていたけど、22日の朝の電話でその時が来たと感じて、実家に向かう。夕方、病院に直行して、苦しそうに呼吸をする父に声を掛けたり、肩を少し揺すったりしてみたが、反応なし。一旦、実家に戻り、母と夕食をとった後、車に乗った瞬間、電話が鳴り、すぐに来て欲しいと言われる。病院に到着後10分ほどで心拍数がゼロになり、医師が呼ばれる。瞳孔を調べ、聴診をしたりして、「死亡ということでよろしいですか?」と聞かれ、「はい」と答えると「午後8時24分」と確認。死因は肺炎ということになるようだが、「広い意味での老衰と考えていただいて結構です」とのことだった。

 

 去年の11月22日に入院してからちょうど半年。その間、それなりに色々とあって母は疲れたようだが、全体としてみれば家族に特に負担となるようなこともなく、本人も苦しむことなく、幸せな最期だったと思う。

 

 

 僕としては、子どもの頃からの緊張関係が就職を拒絶した大学卒業時に最も高まった後、長い時間をかけて良好な関係を築いていくことができ、40歳を超えた頃からはとてもいい親子関係にあったと思う。もちろん、司法試験を目指すという方向が大きく貢献したことは間違いないけど、それがすべてというわけではない。なんていうか、お互いがそうなりたいと考えていたことが少しずつ実現していったっていうことなんじゃないかな。

 

 2020年10月17日の原宿クロコダイルでのライブに両親が観に来てさ。コロナ真っただ中だったんで、ステージにはビニールの幕がかかってた。最後の曲が終わったとき、客席の父が一人立ち上がって、満面の笑みで激しく拍手をするのが、そのビニール越しに見えたんだよね。そのとき、すべてが報われたような、何か確執のようなものからようやく解放されたように感じたことを覚えてる。なにしろ、これまでも何度もライブには来てもらったし、CDも作るたびに聴かせてきたんだけど、褒められたことは一度もなかった。実際、その後、会うたびに「あのライブはよかったなあ。歌も上手くなったし、何よりステージでの姿が本当にカッコよかった」と、こっちが恥ずかしくなるぐらいしつこく言われた。

 

 そういう流れの中での父の死だったわけで、素直に感謝しかないよ。