結局、父は来週にも住宅型有料老人ホームへ移ることになった。病院のソーシャルワーカーと紹介業者(というのかな?)の担当者、それにケアマネージャーなんかが連携して、色んな条件に合うところを探してくれる仕組みのようだ。実際に相性がどうなのかは住んでみないと分からないことだし、まずは始めてもらうしかなさそう。

 

 僕が生まれたときは、名古屋市熱田区の六番町というところのアパートに住んでいた。風呂もなく、玄関は共同、入ったところに階段があってうちは2階だった。何回か、その階段から玄関まで転がり落ちたっていう記憶がある。そのころの父の職業はたしか古河電機とかいう会社の社員だったと思うが、詳しくは知らない。とにかく貧乏な暮らしだった。

 保育園に入る頃、南区に引っ越した。あとで考えれば、スラム街のようにガラの悪い街だった。そこは1階がスーパーで、そこで働く人たちが2階で暮らすという建物で、やっぱり風呂なしだった。うどん屋、魚屋、肉屋、八百屋、服屋・・・色々あったけど、うちは両親共働きで、なぜかお菓子屋だった。食パンとかも売ってたな。ヤマザキのクリームパンが大好きだった。

 

 そこに住んでいたころ、父と母がケンカをして、父がゴルフクラブで日本人形のガラスのケースを叩き割ったことがあった。後から母が言うには、ゴルフクラブを持っていて、間違って当たってしまったとのことだけど、実際のところは分からない。ただ、まだ幼かった僕にとっては、めちゃくちゃビビる事件だったことは間違いない。

 

 あと、ゴムでパチンコ玉を飛ばすのが得意な親戚のおじさんがいて、それで雀を捕まえてくれたことがあった。僕はその雀を家に持ち帰ったんだけど、何日も経たないある日の朝、誤ってその雀を踏んじゃったんだよね。雀は鳴き声を上げながら床を転げ回った。すると父が何も言わず雀を掴んだと思ったら、床に叩きつけて殺しちゃったんだ。もちろん、僕はなんでそんな酷いことをするんだと大声で泣きながら、父をめちゃくちゃ罵った。それに対して父が何かを説明したり、反論したっていう記憶はない。いや、「どっちにしろ、もう助からんかった」とか、「苦しんだらかわいそう」とかいう意味のことを言ったかな。どっちだったか覚えてはいないけど、その時は父が雀を殺したってことしか頭になかった。かなり恨んだと思う。

 残酷な話だけど、これも強烈な思い出だ。

 

2020年5月20日