昨日は、あるクローズドのエネルギー関係の勉強会の2回目があった。

 その中で、ある人がいわゆる温暖化懐疑論に基づく話をたっぷりとされた。

 この人は、現在、社会的にもかなりの影響力のある人で、普段から親しくさせてもらっとるし、非常に信頼もしとるんだけど、どうも親交の深い懐疑論者たちに強く影響されているようだ。


 脱原発に長く関わっている人たちには、国や電力会社が、温暖化対策を原発推進の理由としていることもあって、懐疑論を唱える人が少なくない。そして、原発に関して素晴らしい発信をし、めっちゃリスペクトされとるような人がそういうことを言うんで、3.11以降、その影響は多方面に広がっている。


 そこで、まず確認しとくべきことは、CO2をはじめとする温室効果ガスの過剰排出が温暖化をもたらすという因果関係については、完全に証明することは不可能だということだ。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)では、今や90%以上との見解を発表しとるけど、この見解自体も100%信じられるというわけではないだろう。

 

 このことを前提に、次のことを問いたいパグ


 まず、日本では、「地球温暖化」という言葉を使うことが多いけど、外国では、「Global Warming」より「Climate Change」という言葉の方が一般的であるように、「気候変動」という方が表現としては的確だと思う地球

なぜなら、この問題は気温の上昇にとどまらず、ゲリラ豪雨、ハリケーン、それに大雪や寒冬等、あらゆる異常気象を含めて考える必要があるからだ。


 そうすると、この数年間、猛暑やそれによる熱中症の被害ももちろん拡大しとるけど、気候全般がおかしいと感じとらん人はほとんどいないはずだ。

懐疑論者の中には、温暖化なんてしていない、とか、気温はCO2の過剰排出が始まるずっと前から緩やかに上がり続けてきたとかいうように、まずは温暖化という事象自体を否定する人がおるけど、そこは気候変動と考えて、理解してもらえればと思う。


 次に、この気候変動の原因が、CO2過剰排出だという完全な証明ができないとしても、それを否定して懐疑論を唱えるメリットとデメリットは何だろう?


 メリットとしては、原発推進の口実を潰すことと、経済活動の萎縮を回避することが考えられる。それ以外に何かあるかな。


 デメリットは、対策を先送りにして、その結果、気候変動がこのまま深刻化していけば、地球は壊滅的な被害に直面することになり、それは絶対に後戻りできない性質のものだということだ。

それに加え、産業構造、経済構造、ライフスタイル等の転換期を迎えているにもかかわらず、その機会を逸するということが重要だ。

例えば、石油等の化石燃料に頼るエネルギー構造を、再生可能エネルギーへと転換するためには、このチャンスを活かすことが不可欠だが、気候変動なんて問題じゃないってことになれば、これまで通りでいいじゃんってことになるよね。


 そもそも、こんなところで原発推進の口実の1つを潰さなくたって、今や原発を止めるべき理由はいくらだってある。

本気で気候変動対策が至上課題だと考える人の中で、だから原発やむなしなんて言う人はいないはずだ。なぜなら、気候変動が大問題だと考える前提には、持続可能な社会を実現したいという思いがあるからであって、原発は持続可能性とは対極に存在するからだ。


 また、経済活動の萎縮というのは、従来の産業構造ありき、つまり既得権を守ろうとする発想であって、冷静に考えれば、原発や化石燃料からの脱却にこそ、未来につながる産業や経済活動があることは、今や多くの人たちが薄々気付いているはずだきらきら


 もっと言えば、気候変動問題は、経済至上主義や物質的価値の呪縛から逃れ、最近の流行りでいう「里山資本主義」のような社会やライフスタイルを目指すためのキーになるテーマであるはずで、逆に言えば、従来の価値観や生活を守りたい人には最も邪魔になるものなんじゃないだろうか。


 ずいぶん長くなっちゃったんで、このぐらいにしとくけど、気候変動の問題をアメリカの陰謀だとか、CO2悪玉論とかいう言葉で否定する陰謀論、懐疑論を一生懸命に主張する人たちは、一体何を目指しているのか。

 因果関係を巡る「神学論争」は嫌だけど、その辺の議論ならしてもいいかも。