前回の続き。
M-1グランプリ準々決勝のネタを多分ぜんぶ観て思ったこと。
2.自作自演の漫才師/シンガーソングライターと、分業制
おそらく常識なのだろうけど、こういう賞レースに出場している漫才師の方々は、自分たちでネタを書いている。たぶん。したがって、彼らは自作したネタの質と、自演した漫才自体の質、その両方で評価されるということになるだろう。この構図は、シンガーソングライターの場合に似ている。作詞作曲も、その演奏も、自ら行うタイプの表現者である。
だがしかし、漫才の方面にせよ音楽の方面にせよ、必ずしもネタ/楽曲の制作者と、そのプレイヤーが同一である必要はない。漫才の台本も作家さんが書くことがあるし、楽曲も作曲家と作詞家が制作するパターンがある。というか、むしろ音楽の方面ではそうした分業制の方が主流であるかもしれないとすら思う。シンガーソングライターはマルチな能力発揮が求められるという点で、むしろやや特殊な存在なのではないか。
卓越したシンガーには、優れた作曲家や作詞家、演奏家が付くように、卓越した漫才の「上演家」には、優れた作家が付く、ということもあるのだろうと思う。あるいは逆に、優れた漫才台本を独自に解釈して上演するという漫才師の形態もありえる。この点は例えば同じ話芸でも噺家の皆さんは、古典落語として自分以外の誰かが制作したネタを上演するという点で先行するモデルになっているだろう。
だがどうも、漫才師と言えばネタも自作するものというイメージが、少なくとも若手漫才師というカテゴリの中には、拭い切れず存在していると思う。
実際私の手元に『昭和の漫才台本』があるが、これなどは完全に作家とプレイヤーが別々になっているパターンである。おそらく落語の伝統などを踏まえて漫才というものが発展してきた過程のどこかで、「ネタも上演も、両方漫才師がやるもの」というイメージが定着したのではないか。あるいは、駆け出しの若手で名前も地位もない漫才師は、台本も自作する他に栄達の手段が無いというはなしかもしれない。
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ちなみにだが、2019年のM-1グランプリで優勝したミルクボーイも、今や地方営業等で作家さんの書いた漫才台本で漫才を上演しているという事実がある。作家さんの側も、台本の内容を元々のミルクボーイのネタに寄せてきていて、それなりにおもしろい。