54
「どうしました?それじゃあ、まだ、未完成です」
猫なで声が初老の男を促しました。と、初老の男の、笑い声。泣き笑いの声。
激しい物音。
人間と人間がぶつかりあうような、重い、くぐもった、嫌な物音、しかしすぐに静寂。諭すような、猫なで声。
「あとのことは、まったく心配ありません、ご子息は後継者として、ちゃんと、みんなで支援します、ご家族もみんな安心して暮らしてゆけます、うけおいます」
返事はなし。物音もない。意味もなく人を痛めつけるような沈黙。
ハハハハハ・・・・
小人が笑っているのかと思ってぎくりとする。小さな小さな笑い声が微かに響く。携帯からでした。課長は耳をあてる。
―聞えたでしょう?まったくひどい奴らだ。追詰められてる方も、ひどい奴なんですがねー
「と、隣ではいったい、な、何が・・・」
熱田にたずねようとしたら、課長の部屋の固定電話のベルが鳴りました。またぎくりとする。
それでも、課長はなぜか反射的に、薄明かりをたよりに電話に近づきました。受話器を、やっとのことで、つかみました。
「時間だ。行け」
電話の向うで、金属質の冷たい声が命令しました。
「へ?」
「行くんだ。何をねぼけている」
「行くって、どこへ」
「隣の部屋だ」
「しかし、お隣は、何か、とりこみ中のようですが」
「行け!」
激しい語気に課長は気押されました。
「はい」
そういってバネ仕掛けの人形のように動いてしまった。
暗闇のなかで、ドアのノブを探し当てました。携帯の小さなライトが点滅して、ハハハハ、という携帯の向うの熱田の笑い声が聞えたように思いました。
しかしかまわず、部屋を出て、よろけるように歩き、隣の部屋のドアの前に立った。
ドアのノブをまわして、その扉を開けようとした。
しかし、ノブは少し動いたが、急にかたくなり、なかなかまわらない。
手に力をこめて、もう一度、ぐいっとひねろうとしたら、ノブが生き物のようにひとりでに回り、ドアが勝手に自分で部屋の中の方へ開きました、
課長は体のバランスを崩し、そこに倒れそうになりました。
前傾姿勢でやっと踏みとどまり、顔をあげた。
「・・・・・・」
・・・・つづく