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「この映画にでてる町、こりゃ、ここの町じゃねえか」年かさの男が唸る声がした。「この町が舞台か」
その通り、製氷室のマリアの舞台は、されむ町であった。
そして、「マリア」が登場した。
…予想はしていたが、それでもやはり、私は息をのんでしまった。
画面に現れたのは、雪原で死んだ「クマ」にそっくりの女性だった。
美人で、可愛い。
スクリーンに現れた彼女は、しかし、つなぎの作業服ではなくて、清潔なドレスを着ていた。
白痴ではなく、目の輝き、身のこなし、それらの総体が、魅惑的で、美しく、セクシーだった。
観客たちは、この女優の美にノックアウトされた。ひさしぶりで、本当の女性の美に出会ったというかのような衝撃を受けていた。
その映像は、雪原を歩くマリアの、一種の幻想であるらしかった。彼女は、悪魔にみたされた、製氷室のように凍えた世界を嘆くセリフを語りながら、裸足で雪原を歩いていた。
ところで、美咲は、誰かに尾行されていた。死んだ恋人を陰謀によって殺害したギャングらしかった。尾行と逃走の劇がサスペンス風に展開された。
…しかし、そのサスペンスは、退屈なものに見えた。
あの「マリア」を見てしまった観客は、もはや、美咲セツ子が主役のサスペンスなどには、興味がもてなくなってしまったのだ。
私自身がそうだったし、まわりの様子をうかがうと、皆も同じ気持ちであることが見てとれた。
明らかだった。
「マリア」は、この映画の、脇役のはずだったが、映画のすべてを食ってしまっていた。それほど、「マリア」の美は強烈だった。
突然、画面が真っ白になった。映写機のトラブルか、フィルムが切れてしまった。
「おい、どうした」芸能プロ社長の声がした。ほかの観客からも、不平の声が、あがった。真っ白な画面が、虚しく光っていた。
私は、後ろを振り返った。誰かが、ドアにかじりついていた。
ノブを持って、開けようとしたが、無理と知り、目を固く閉じていた。何かを知っている風だった。何かが始まるのだろうか。
「はやく続きをやれよ!」誰かが怒鳴った。
すると、天井から、ボーイの甲高い声がした。
「ね?皆さんも、そう思うでしょう?」
…何の同意を求めているのだろう。この先を、どうしても見たくなるだろう、といっているのだろうか。
私は、天井を見上げた。
・・・・つづき