人と話していて、色々と考えてしまうことがある。

何気なく中学生の頃の話をしていた。私はバレーボールをしていて、3年生のころ、ある高校からバレーボール選手として入学しないかと推薦があったらしい。
でも、私はその話を知らなかった。
あとで母親が私に話してくれた。母親が勝手に断っていたのだ。

そのときの感情は、推薦された嬉しさもあったが、実は長いこと怒りを持っていることを最近気づいた。

この話を人にしていたとき、「それ、ひどいね」と言われた。
そう、よく考えたら、私の将来の道を親が勝手にふさいだことになるからだ。
そのときは、私も直接話がきても断るだろうと思っていたので、怒りはなかったと思うが、少し釈然としないところもあった。

やはり、母親が断る前に、私に知らせてほしかったという気持ちがあり、怒りがあったのだ。

この感情は、BPMで言うと、創痍(心の傷)の一つになる。

何十年もたって、怒りを持っていたことを認識した。

今なら笑える話だが、そのときの私の感情の記憶はこのままにしておくと、自分で自分を何かにつけて妨げることになる。

即、松田サリー先生から教わっている言語を言い始めた。

今日は、その人が私に必要なことを気づくきっかけを作っていただいたと思った。

話を聞いて、意見を言ってくださったことに感謝している。

心のなかで私はお祭り騒ぎになるほど、喜んだ。
こんな些細なことで人は怒りを抱き続ける。
些細なことだが、親と子供の頃の意見の食い違いだ。

今の自分の意識は笑っていられるが、無意識にある私は傷ついている。

その部分を癒し、怒りの信号を流さないようにする。

そうするための、BPMの言語は効果がはやい。

自分で言うのもいいが、BPMのサロンでセラピストに言ってもらうのも効果的だ。

言語もただ言っているだけではない。声のトーン、早さ、なども大事で、精密に作られている。

多くの方にこの技術を知って体験していただきたいと思う。