松田サリー先生から学ぶBPMという学問では、7歳までに誰もが作る、5つの創痍(心の小さなトラウマ)を無意識に持つため、それが人の人生に大きく影響を与える、ということを学んでいる。
5つの創痍を意識すると、実に腑に落ちることがよくある。
私は物を人から受けとるのが苦手だということを自覚したのだが、その苦手となるきっかけはやはり子供の頃の経験と記憶にある。
親からよく言われていた言葉を思い出した。
何か物を人からいただいても、すぐに開けてはいけない、欲しがってはいけない、遠慮しなさい、と。
そして、あることを思い出した。
小学生のころ、あるお祭りがあり、それに関わっている役員の大人の人や小学生たちと町を歩いていた時、あるおじさんが私だけにジュースをくれた。
なぜか、私だけに。
私はどうしていいかわからず、というより断ることもできず、受け取った。
私の隣にいた同級生が、「何でもらったの?」と私を責めた。
私は何も言えず、そのジュースを返すこともできず、心の中でいつも親から言われている、「人から物をもらってはいけない」、と言われていることができなかったのと、同級生から責められたことで、受け取ったとこの後悔と、どうしたらいいのかわからない葛藤でとても嫌な気持ちになった。
という記憶がよみがえった。
今でも鮮明に覚えている。
きっとその出来事がきっかけで、人から物をいただくのが苦手になり、素直に喜べなくなった、というより、嬉しさを表現できなくなったのだと思う。
半分いただいた喜びもあり、半分はいただいていいのだろうか?という葛藤みたいな感情が同時にやってくる。
まさに、受けとるブロックを作ってしまっているのが記憶とともに腑に落ちた。
逆に何かプレゼントをあげた時、うれしそうに受け取ってくれないとき、うれしいだろうか?
喜んで受け取ってくれるほうがプレゼントする方もうれしいのに。
そもそも子供の頃に、プレゼントなどを受け取ったあとすぐに開けてはいけない、ということをなぜ親が言ったのかさえ理由がわからないのである。
そんなものだから、と答えが返ってきそうだ。
これが、脳では受けとることへの遠慮となり、何もかも受けとらなくていい、と自分で決めてしまったのである。
脳はこれは充分に受け取り、これは受け取らない、という選別はしない。
収入さえ受け取らなくていい、と脳は指令を私に送っているかもしれない。
実に困ったことである。
この認識ができたのは、松田サリー先生から学んでいるからこそで、出会うことなく死ぬまでこのまま生きていたら、と思うと、出会った奇跡に感謝している。
遠慮という概念が作るものは、収入への遠慮だけではない。
年なんだからおしゃれしなくていい。
メイクしなくていい。
そんなにきれいにならなくていい。
自分より子供に。
いつの間にか自分の好みを生きるのがよくなくて、他の人を優先するのが美徳となり、誉められるのが誇りになってないだろうか?
本当に自分は楽しいだろうか?
自分を大切にすることを忘れているかもしれない。
とても大切なことに気づかせていただいた。
