私たちは地球に生まれてきているだけで、歓迎されている。

 

私は最初、この意味が分からなかった。

 

松田サリー先生が講座でそう教えて下さった。

 

分かるような、わからないような。

 

朝起きて、ご飯を食べる。子供の頃はその後学校へ行く。

 

今だったら、仕事へ行く。帰宅、そしてご飯を食べる、寝る。

 

その毎日のルーティンを繰り返す。

それは当たり前すぎて、ありがたさも何も感じていなかった。

 

松田サリー先生は違った。

 

地球に生まれたときすでに私たちは愛されていて、知り合いでもないけど、他の人が自分のためにしてくれていることがいっぱあり、その中で生きている。

 

私のために道路を作った人がいる。私が乗る車を作り、売ってくれた人がいる。私が住む家を作り、提供してくれたひとがいる。

 

今までだったら、お金を出しているから当たり前でしょ?と思ってきた。

 

でも、当たり前ではなかった。大切なのは、愛を受け取っている、という事実だった。

 

それを傲慢に当たり前と思っていた。

 

でも、それを認識したからよかったと思う。

 

頭では感謝は大事だよね、と分かったつもりでいた。

 

でも頭で理解するのと、腑に落ちるは違う。

 

それもわかった。

 

すでに愛をもらっているのに、ない、と主張していただけだった。

 

一体何様?

 

私はなんでも一人でできる、なんてヴェールはいらなかった。

 

人に頼ってもいい。限界のある自分でいい。

それを認めるのに時間がかかった。

 

でもわかったからよかった。

 

松田サリー先生に感謝しかない。