五月の表情が変わったのが判った。
数分前のあの優しい表情はない。
五月は柚原の発言の何に反応したのか、ぼくたちには解らない。
ぼくは考えてみた。
左右だけじゃなくて、前後?
「まあ、いい。
仮にそういうことだとして、」
五月がゆっくりと話を進める。
「動機は何だ」
ほぼ同時、柚原と五月は同じ言葉を発した。
五月は目を見開き、口には出さないがその表情は怒りに満ちていた。
柚原は五月の瞳をじっと観察するように覗き込んでいる。
「おいっ」
「問題は…、何があなたをそうさせたか」
「何?」
「根っこの部分です。
それを見る必要があります」
「何を言っているんだ」
「――事故、ですね」
五月の右手がぴくりと反応した。
左腕に当てようとしたその手を咄嗟に止めたのだ。
柚原もそれを見逃さなかった。
「あなたが今触ろうとしたその左腕を負傷した事故。
あなたから楽器を奪った、夢を奪った事故。
もう一生楽器が弾けない。
顔も傷つき、あの美しい容姿には二度と戻れない」
柚原は五月から目を離さずに、人差し指を伸ばした左腕を持ち上げた。
柚原の指の先にはあの部屋の隅の鏡がある。
鏡?
「毎日あの鏡に映る自分の姿を見ては絶望した。
鏡の横の壁、随分擦り減っていますね。
あなたは悔しくて右の拳で何度も何度もあの壁を殴った。
絶望から逃れるために。
でも逃れることなんて、できなかった。
あなたは恨んだ――事故を。
いや、事故の原因となったのは――、イヤーホン」
柚原が畳みかけるように言った。
「どこで……?調べたのか!」
柚原は口角を上げ、言う。
「何を言っているんですか?
調べてもいないし、誰からも訊いちゃいませんよ」
「じゃあ…」
「さっきも言ったでしょう。
『見える』んですよ」
柚原はぐっと目を見開いた。
その横顔に思わず鳥肌が立った。
太腿から、二の腕、顎の辺りまで、ぞわぞわと何かが這い上がってくるように鳥肌が立った。
「制服を着た女の子が道の端の方を歩いている。
狭い道だ。
ああ、彼女は音楽を聴いているんですね。
これはあなたの車。
なるほど、彼女はイヤーホンで音楽を聴いている。
だから、後ろから近づくあなたの車に気が付かない。
彼女が急に右から飛び出してきた。
左側の路地に彼女の家があるんです。
あなたは彼女を避けようと咄嗟に左にハンドルをきった。
でも――」
「もういい」
「あなたの左半身は傷付き、人生はめちゃくちゃだ」
「もういいと言ったんだ」
柚原は開きかけた口を閉じ、初めて五月から目を離した。
机の上のカップを手に取り、一口飲んだ。
「呆れたよ。
まるで見ていたかのようだな」
「何度も言うのは嫌いです」
「きみは、超能力者なのか」
柚原は馬鹿するかのように笑い、首を振る。
「違います」
「じゃあ…」
「今のにタネも仕掛けもありませんよ。
さあ、話を戻しましょうか」