背中に汗を感じ始め、ぼくは左手で襟元を掴んでぱたぱた動かし、体に空気を送った。
市民プールから自転車を走らせ、高校の前を通り過ぎた。
フェンスの向こうに自転車置き場が見え、過ぎた先のハンドボールコートではシュート練習が行われている。
コート脇のベンチには頭からタオルを被った鳥居先生がいる。
懸命に練習する生徒たちにうちわをあおぎながら時折指示を出しているようだった。
学校を過ぎたらもう少しだから、と葛城が言った。
まだ乾ききっていない長い黒髪を視界に、ぼくは自転車を走らせる。
平坦だった道が次第に上り坂になっていくのが判る。
目的の公園は高台にあるという葛城の言葉を思い出した。
いよいよ上り坂に差し掛かったところで葛城は自転車を降りた。
自転車を引いて坂を上っていく彼女にぼくたちはならった。
坂を上りきると平坦な道が延びていた。
その先、目線の高さに青空と入道雲が見える。
再び自転車を漕ぎ出し、まだ着かないのかと思ったところで左手に公園が現れた。
想像以上に小さな公園で、そこにあるのはブランコと砂場とベンチのみだ。
むしろそれは、それしか置けないほどの広さであることを示していた。
ぼくたちは公園内に足を踏み入れた。
ここでも葛城にならい、フェンス越しに景色を眺める。
間もなくぼくはなるほど、と思った。
「芽衣はここから景色を眺めてた」
葛城の視線はずっと遠くの入道雲ではない。
ぼくたちも同じだ。
「確かに、この景色にあの家は映えるな」
煙突が飛び出した赤い煉瓦作りの小さな家が見える。
周囲の建物といえばトタン屋根の小屋や、瓦の剥がれた古そうな日本家屋だ。
犀川芽衣があの家を眺めていたと思っても仕方がないかなと思えた。
そう思えるほどの存在感がそれからは溢れ出していた。
「危険だね」
柚原が呟いた。
彼の目線の先にはあの赤煉瓦の家がある。
葛城は唇を噛み、丸い鼻に皺を寄せる。
ぼくは柚原の言う「危険」の意味がよく分からなかった。
口を開けかけたが、
「行こう」
柚原が言う。
それを聞いた葛城は一瞬驚いた表情をしたが、首を縦に振った。
もちろん、ぼくも驚いた。
首は縦には振らなかった。
葛城は許さないだろうが、ここで二人と別れてもいいのだ。
手を引けばいい。
元々ぼくには関係がないことなのだ。
柚原千昭はぼくたちには見えないものが見えてしまう、いわゆる第六感や霊感と呼ばれる類の一種の能力を持つという。
彼はそれらのものを『妖』と呼ぶ。
降霊や霊媒、祓いの能力はないが、妖とのコミュニケーションは可能なようだ。
彼はあの景色に一体何を見たのだろうか。