梟塚妖奇譚 ・ 火車 【拾九】 | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。

静ジャクだった。

残念ながらその漢字は思い出せなかった。

ならば他の言葉で言い換えようと考えてはみたものの、語彙が貧弱なぼくには無理は話だった。


今しがた祖父の部屋で起こったことは、ほんの数分間の出来事だったはず。

しかし自体が途方もなく長く、そして全てが終わった今では不思議なほど遠い昔のことに感じた。

妖怪がこの世に存在するなんて、未だに信じがたい。

妖怪なんてアニメの世界だけに生きているものだと思っていた。

そのアニメを観ていたときは、この妖怪たちが現実世界に現れたらさぞかし不気味な姿だろうな、なんて思っていたが。

しかし、信じるしかないだろう。

事実、火車という妖怪をこの目で見てしまったし、あろうことかある約束までしてしまった。

もしもその約束を破りでもしたら、アニメの妖怪のするように、ぼくは魂を奪われるのだろうか。

そんな恐怖を抜きにしても約束を破りつもりはないのだが、ふと想像してしまった。


気付けば雨も風も止んでいた。

柚原は言っていた。

火車は死体を奪うとき大雨風を起こすと。

学校であの真っ黒な雲を見たとき、柚原は火車に遭遇することを覚悟していた。

あのときの彼の表情はその覚悟だった。

彼は安楽椅子に座り窓の外を眺め、葛城は緑の絨毯の上に座り込み部屋の上の方をぼんやりと見つめていた。

ぼくはというとドアに向かって立ち尽くしたまま、目にはあの炎の揺らめきが焼き付いて離れていなかった。


もう一つなかなか消えない感触があった。

左腕に残る柔らかい感触。

火車と対峙している間、ぼくの左腕にしがみついていた葛城の感触。

物心ついた頃から母親がいなかったため、これほどまで女性と接近したことは記憶の限りなかった。

腕を組み、目を瞑ってまるで考え込むようにしてみた。

こうすればどちらの感触もさっさと消え去るかと思ったのが、そうでもなさそうで、それは余計に助長された。

助長されたところでたいした胸ではなかったが。


「潮見くん、どうかしたの」


これが女の直感というやつか。

ある意味では妖怪よりも恐ろしいかもしれない。

ぼくはなるべく平静を装って振り返ってみた。

そして今慌てて思い出したことがばれないようにして本棚へと歩み寄り、その奥の隠し扉へ手を伸ばした。

二人はその様子を黙って見守り、柚原に関しては、今回はさすがにぼくの行動を止めるつもりはないようだった。


薄青色の美しい曲線を手に取ると、その美しさが余計に際立った。

優美とか甘美とか官能的とか、美しさを表す言葉は多く存在するのだろうが、語彙が貧弱なぼくには美しいとしか表現できそうになかった。


「ねえ、潮見くん。あれっ」


いつの間にか後ろにいた葛城が奥の隠し扉を指差していた。

その声に反応して柚原も興味津々に安楽椅子から身を乗り出し、覗き込んだ。

祖母の骨壺の置かれていた箇所、その奥に見たことのある黒い物体が転がっていた。


「死番虫だね」


祖母を守っていたのは祖父だけではなかった。

これも柚原が言っていた。

死番虫は、古代エジプトのミイラが収められたピラミッドの中から見つかったことからその名が付いた、と。


「本当に死の番、してたんだね」



祖母の骨壺は墓に納める日まで同じ場所に仕舞っておくことにした。

柚原曰く火車はもう現れることはと言っているが、念のためだ。

いざとなったら死番虫が守ってくれる。


祖父の部屋出てすぐの廊下を右に行くと居間に出る。

居間には古い柱時計がある。

時計は午後一時を指そうとしている。


「腹減っただろ。何か食べていくか」

「えー。潮見くん、料理できるの」

「父さんと二人暮らしだから」

「千昭くん、どうする」


柚原は黙って頷いた。

推理や妖怪を語ったときのあの饒舌はどこへやら。

ぼくは早速準備に取り掛かった。

とは言っても素麺を茹で、茹であがったらごま油と夏野菜で軽く炒めるだけだ。


「ねえ、秋(しゅう)くんも夏休み入ったらプール行こうよ」

「おい、何だよその秋くんってのは」

「いいじゃん、千昭くんは千昭くんって呼んでるし」


その理屈は良く解らなかったが、やめろと言っても葛城がやめないことは解りきっていた。

しかし――


女の子からプールに誘われるなんて、はじめてだ。



梟印1