コンビニから戻ると玄関前に由美が立っていた。
携帯をいじり暇を持て余していたようだが、僕に気付くとそれをバッグに仕舞い、小さく手を振った。
「コンビニ、行ってたの?」
「うん。ビール切らしちゃってたから」
そう言いながら鍵を開け、僕は由美を招き入れた。
「そろそろ合鍵欲しいなー」
「そうだね。今度作りに行ってくるよ」
都心近くの10階建てマンション、その6階に僕は住んでいる。
駅から歩いて10分、近くには大きなショッピングモールがあり、生活に不自由はない。
1DKの部屋には大きな窓が一つあり、夏は開けておくと気持ちの良い風が吹き込んできて快適だし、景色も悪くはない。
僕はこの部屋が気に入っている。
バッグを放り投げた由美は、いつものようにベッドの上に寝転がった。
僕はコンビニの袋からビールを取り出すと、それを彼女に手渡した。
「はい、お疲れ」
由美は「ありがとう」と言ってそれを受け取ると、気持ちの良い音を立ててプルタブを引き上げた。
そして、ビールを一口飲むと再びベッドに寝転がり、叫んだ。
「やっぱ残業上がりのビールは最高だわ!」
僕も椅子に座り一息ついた。
壁の時計を見ると11時に回ったところだった。
「今日はね――」
と、由美の愚痴が始まった。
もちろんすべてモノマネで、だ。
愚痴を溢すだけでもストレス発散できるのに、彼女の場合はモノマネ付きだ。
普通の人よりも二倍ストレスを発散することができるらしい。
由美は現在、実家で父親、母親、高校生の妹と4人で暮らしている。
大学生の時分は他県で一人暮らしをしていたが、就職に際し地元に戻ってきたのだ。
ここ最近、由美がここに泊まっていくことが多い。
その度何か言い訳しているようだが、彼女の両親もそろそろ僕の存在に気付いているだろう。
「ねえ、テレビつけていい?」
「いいよ。えっと・・・」
由美は愚痴を終えると、必ずと言っていいほどテレビを観たがるのだ。
僕はテレビのリモコンを探した。
確かここに置いたような・・・、と探すのはいつものこと。
昔から整理整頓は苦手なのだ。
そういえば、よく母に怒られた。
ぬいぐるみから壊れた機械の類まで、外からガラクタを拾ってきては片付けずに部屋にほったらかし。
母には「また変なもの拾ってきて・・・」と呆れられた。
そんな僕にゴミ袋を差し出して母は言った。
「ここには要らないものだけ入れなさい。自分が必要だと思うものを選べるようにならないとだめよ」
――浩平。
不意に。
それは僕の耳に届いた。
驚いた僕は凄い勢いで後ろを振り返った。
しかしそこに涼子の姿はなく。
代わりに、ばつが悪そうな表情の由美がいた。
「ごめん、浩平・・・」
「あ、うん・・・」
涼子。
僕が高校生の頃付き合っていた女の子だ。
もちろん由美も涼子のことを知っている、僕たちはクラスメイトだったのだから。
僕と涼子が付き合っていたことも、もちろん由美は知っている。
今のは由美の得意のモノマネだ、僕はすぐに理解した。
「浩平、ホントにごめんね。私ちょっと不安だったの?」
「不安?」
僕は訝しげに訊き返した。
「うん。まだ涼子のこと、忘れられないのかなって。だって涼子・・・」
由美はそこで言葉を止めた。
涼子は、もうこの世にはいない。
僕が大学二年の時に交通事故で亡くなったのだ。
それは僕と別れた直後で――。
彼女の事故は僕と別れたことと何か関係があるんじゃないかと、僕はしばらくの間そんなことを疑わずにいられなかった。
だがそれももう、昔の話だ。
僕は由美に寄り添い、そっと抱きしめた。
「そのことはもう忘れたよ。だから由美も忘れて」
「ごめんね」と言った由美は続けて「ずっと一緒だよね?」
「うん」
由美はそう言うと、その細い腕を僕の肩に回した。
彼女は鼻をすすり、涙を流しているのがわかった。
「それにしても今のモノマネ、そっくりだったよ。ね、もう一回やってみてよ」
僕は彼女を和ませようと、そう提案した。
「私、涼子よ」
由美が耳元で呟いた。
本当によく似ている。
これほどまでモノマネが上手なら、それは別の何かに利用できたりしないだろうか。
例えば――
いや、そんなの間違ってる!
僕は少しでもそれを考えてしまったことを恥ずかしく思った。
その時だった。
僕はある異変に気が付いた。
その異変とは、非現実的であり、とても奇妙なものだった。
しかし、彼女とはもう2年も一緒にいるのだ。
こうして抱き合うことも、それ以上のことも僕たちにはある。
その僕が感じたのだから、それは間違いではないはずだ。
――由美の体が縮んだような気がした
それはほんのついさっきだ。
僕が抱きしめたときは確かにいつもの由美だった、あの感触だ。
しかしどうだろう、今はいつもと、こう、腕がどうも手持ち無沙汰だ。
明らかに何かが変だ。
そう思った瞬間、僕はとっさに女から体を離そうとした。
だが、離れなかった。
女はしっかりと僕の体に絡みつき、やがて僕の体はそのまま押し倒されてしまった。
普段の僕なら女性に押し倒されることなど、そうあることではない。
しかし、今の僕の体は恐怖で完全に硬直してしまっている。
「浩平・・・」
女がぼそっと呟いた。
小さな声だったが、僕は知っている。
これは由美ではない。
それに、女の髪は由美のあの――、少しカールした長髪ではない。
それはまるで――
いやそんなはずはない。
第一おかしいだろ。
今の今まで一緒にいたのは間違いなく由美だった。
それがどうして?急に?
全くの別人に変わってしまうことがあるのだろうか?
――モノマネ。
再び女を見る。
顔は髪に隠れて見えない。
掻き揚げてやろうかと思ったが、そうだ、僕の腕は女に強く押さえつけられている。
声を出そうとするが、口が震えて動かない。
喉も渇いた。
僕はごくりと喉を鳴らした。
そんなことで満たされるなんて考えてもいなかった。
喉は余計に水分を欲する。
僕に成すすべはなかった。
顔は見えないが、女がうっすらと笑ったことが僕にはわかった。
その時の僕は、きっと酷い顔をしていたに違いない。
女はゆっくりと顔を上げた。
「私だよ、浩平・・・」
やっと逢えたね。