東京から実家の福岡に連れ戻されたのが、ちょうど30年前の今日だった。
新幹線に乗るのが数時間 遅ければ、すぐには戻ってこれなかったかもしれない。
明日1月17日、阪神淡路大震災から30年を迎える。
そっか、今やっている朝ドラで やたらめったら震災(阪神淡路・東日本)のことを扱うから「なんでなんだろうなぁ?」と思っていたけど今年30年だったんだなぁ。
毎年 思い出してはいるけれど、何年経ったかは失念していた。
30年という年月が長いのか短いのかは人にもよると思うけれど。
被災されて いまだにPTSDが続いている方も中にはいるんだろうし。
神戸港 震災メモリアルパーク
(2018.5撮影)
震災から2、3年後ぐらいかな?神戸市の長田区で過ごすことになったのも なんとなく縁を感じている。
一番 被害の酷い地域だったけれど「がんばろう神戸」を合言葉に皆元気に働いていたな(もちろん大変だったんだろうけど、そんな所を見せずに本当に皆 明るかった)。
やはり大きな都市だったし、多少バブルの名残もまだあった頃で人々も前向きだったし(特に関西人のパワーは凄い!!逆境に強い)復興も比較的早かったと思う。
それと比べると能登の復興は、まだまだ先のことになるんだろうか?(『孤独のグルメ』でも出ていたけれど、倒壊した家がそのまま残っていた)
実家から届いた手紙
一番右の手紙の転送先として
赤文字で神戸市長田区とある
左(新)⇒右(古)
先日また日向灘で地震が起こったけれど、日本に住んでいる限りは地震からは逃れられない。
今の日本は どんどん余力が無くなってきている。
それでも皆で力を合わせて乗り切るしかない。
いつ何が起きても良いように、日々粛々と生きていくだけです。