逃げ場 | From Rabbit House

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好きな音楽や日々の暮らしを
思うまま感じるまま。

地域にもよるだろうけど、もう学校って2学期 始まっているのかな?

 

我々の時代は8/31が夏休み最終日だったけれども。

 

 

この時期になると増えるのが児童の不登校、そして自殺

 

学校は友達がいるから会えて嬉しい楽しいって子もいれば、勉強も嫌いだし行きたくない、いじめられていて苦痛(恐怖)に感じるって子もいるよね。

 

 

行きたくないなら、死ぬぐらいなら行かなくても良い、逃げていい。

 

ただ、きっと それを親には知られたくないって思っちゃうんだよね。

 

迷惑かけたくないって我慢しちゃうんだよね。

 

 

私は友人もいたし勉強も運動も苦手ではなかったし、いじめられたって経験はないんだけれども

 

それでも なんだか「行きたくないな、学校辞めたいな」って思っていた。

 

学校は軍隊みたいで息苦しかった。

 

 

積極的に「死にたい」と言うより「消えて」しまいたかった。

 

思春期ならではの漠然とした不安感・虚無感みたいなものなのか、生き辛さを感じていた。

 

『あの夏が飽和する。』

からスクショしています

 

 

うちの親は厳しくて、風邪をひいて熱が出ていたとしても絶対に休むことを許してくれなかったほどだから

 

当然そんな気持ちを吐き出せるわけもなく、しんどかった。


学校をさぼったりすることも出来なかった。

 

 

その意思表示によって親が何かを敏感に感じとってくれるわけでもないだろうし、後でこっぴどく叱られ 心底失望されるであろうことが解っていたから。

 

「あんたは あたしの子じゃない」

 

反抗的だったからだろうか、そういう わざと傷つけることを平気でいう親だったから(※連れ子や養子ではなく実子)

 

 

家にも学校にも居場所がなかった。

 

『命に嫌われている。』

からスクショしています

 

 

だから放課後や休みの日はライヴハウスに入り浸った。

 

家にいたくなかったから朝帰りも増えていった。

 

そこに集う人たちは住んでいる所も違えば年齢も違う、価値観も異なった。

 

行けば誰かに会えたし、刺激安らぎが貰えた。

 

 

そこへ身を置くことは居心地が良かった。

 

私には、まだ逃げ場があったから生きていられた。

 

「死ぬ勇気」すら なかったんだけれども。

 

 

今の時代だったら、下手すりゃトー横キッズの仲間入りだったかもしれない。

 

ゆきむら。『あの夏が飽和する。』

 

まふまふ『命に嫌われている。』

 

↑どちらもカンザキ イオリ氏の楽曲を歌い手さんがカヴァーしています。

 

 

 

もし あなたが親・祖父母の立場であるなら自分の子や孫に寄り添って欲しいと思います。

 

子どもたちの逃げ場になって欲しい。

 

絶対に味方になって守ってあげて欲しい。

 

 

子どもは平気で親にをつく。

 

「なんでもないよ」って言ってしまう。

 

子どもたちの本当の笑顔を なくさないためにも、何気ない一言や表情を気にかけてあげて欲しいと願います。

 

 

そして・・・大人の あなただって。

 

逃げ出しても良いんだよ。