先週の『コントが始まる』は神木隆之介が演じる瞬太の回だった。
先日GYAO!で観た『ハルとアオのお弁当箱』というドラマにも毒親(毒母)が出てきた。
子どもを全否定して、自分の理念・思想を押し付ける「毒にしかならない親」。
吉川ひなのが子どもの頃から毒親に搾取され続けていた記事も読んだ。
本当に酷い親(猛毒)だと思う。
※以下、長くて暗い話なので嫌な方はスルーでお願いします※
私の母親も、まさにその毒親だ。
親から一度たりとも褒められたことがない。
(それなりに成績も良かったので)周りのお母さん方から褒められても、うちの母親は謙遜なんだろうけれども「そんなことないよ」で留めておけばいいものを
それを上回るぐらいに私の悪口大会が始まる。
横で聞いていて、子どもながらに「そこまで言わなくても」と、いつも傷ついていた(私を褒めてくれた お母さん方も恐らくドン引きだったと思う)。
容姿に関しても ずっとブサイク扱いで、私の友人は皆 美人なんだけれども
「あんたは“かすみ草”やね。友達は薔薇とかで、その引き立て役や」と言われた。
私は『イグアナの娘』だったのだ(実は、このドラマ観たことない。そして根本的に私は菅野美穂のような美少女ではないw)。
母の目には私は醜いイグアナにしか見えなかったのだろう。
勉強でも運動でも図工でも何でもいいから少しは褒めてもらいたかったから「○○って言われた(褒められた)よ」等 話しても
「あんたは自信家やね」と言われた。
他人からは褒められても、親からは一切褒められないどころか貶される。
自分自身を褒めてあげたらいけないの?
自分を肯定することもできないの?
「私ドッジボール強いんだよ。鉄棒も得意だよ」
「ソフトボール大会でピッチャーに選ばれたよ」
「版画で賞をもらったよ」
色々話したいことがあったけれど、いつも口をつぐんだ。
何も話さなくなった。
父と母は田舎の昔の人間で、お見合い結婚だった。
父と会ったのは一度目がお見合いで、二度目が結納の時で、三度目が結婚式だったと母から聞いた。
だから恋愛感情なんてなくて、更には父の母や妹ら(姑・小姑)から事あるごとに嫁いびりされていたようで、それを かばってくれない父を嫌っていた。
私が小さい頃から父や祖母(父の母)らの不平不満、愚痴ばかりを四六時中 聞かされていた。
私はサンドバッグだった。
そして、父に似ている私を母は嫌っていた。
「あんたは私(母)の子じゃない。親父(父)の子や」と、つい4、5年前にも真顔で言われた。
そういうことなら、親子じゃないのなら「介護の義務もないや」と割り切っている。
(以前、介護の話を書いた時に「親を施設に入れる」と言い、冷たい人間だと思われた方もいるかもしれないが、こういう事情がある)
「幼稚園の入園の書類にも親の学歴を書かないといけなかった」と母は自身の学歴の無さを恥じていた。
「貧乏は遺伝する」と言って、私は様々な習い事をさせられた。
要は良い学校へ入れば良い所へ就職できる。
良い会社に入れば良い人と結婚できる・・・というわけだ。
スイミングや書道、エレクトーンや英語。
どれも5歳前後から始めた。
今じゃ小学生も英語は必須科目になっているけれど、首都圏の学校や お受験をするような良い家柄じゃない、うちみたいな九州の田舎の貧乏な家で、ましてや40年も前に そんな家庭はそれほど多くはなかっただろうと思う。
少しは感謝している。
「(父の勤める)会社がいつ潰れるか分からない。安定している公務員か公務員の嫁になれ」と言われ続けた。
(ちなみに父の会社は潰れていないし、定年後も「来て欲しい」と頼まれ10年ぐらい勤めた。
そして私は公務員どころか会社員でもなく自営業者の妻だ)
私も兄もそこそこの学力で、私は四大を出て就職、兄にいたっては理系で大学院まで出たにもかかわらず、親の言うことを聞いたのかは分からないが公務員になった。
私は反発していたから親の言うことなんて一切聞かなかった。
兄が公務員になった(結果的に母のいうことを聞いた)ことから、更に私への風当たりが強くなった。
大学も就職先も結婚相手も全て ことごことく猛反対された。
親は「自分が正しい人」で、はなから話を聞くタイプではないので何を言っても無駄だった。
説得なんてできるはずもなかった。
私は美術やデザイン関係の大学・専門学校など芸術方面に行きたかったけれど「絵描きにでもなるつもりか」と一蹴された。
もちろん、美大芸大はお金がかかる上に就職もないから、そう言われても仕方がなかった。
それならと、東京に出たかった(家を離れたかった)から東京の某有名私大を希望した(高3の1学期の模試ではB判定だった)。
けれどやはり「東京は危ない所、私立なんてお金がかかる」と反対された。
頼る親戚もいないし、スポンサーがお金を出さないのなら諦めざるを得なかった(貧乏な家は進学でも我慢を強いられるのは仕方がない。生まれ(出自)を呪うしかない)。
私は文章を書くことが好きなので出版・マスコミ関係に就職したかった。
大学生の頃、ライター(取材して記事を書く)のバイトもしていた。
締め切り前は徹夜仕事になるし、そんなのは当たり前だった。
しかし、やはり「普通」「平凡」を好む親からは「時給換算したらバカみたいな仕事」と一蹴された。
何かを生み出したり(創作したり)する、そういう事には時間がかかるが、それを完成した時には それ以上の喜びもある。
そういった感情を知ることもない親からすると芸術家も記者も馬鹿みたいに見えるのだろう。
もう、うんざりして「こんな所には いられない」と私は家を飛び出した。
そして・・・・紆余曲折あり、現在に至る。
ドラマの中では親が死ぬ時に互いに「ごめん」と謝り、一応和解した(?)ようだけれど、うちはどうかな?
たった一度だけ母から電話で「ごめんね」と謝られたことがある。
あまりの酷さに(=私のやりたいことに反対する。と言っても、母が私への暴言を吐く時は誰もいない時にするので家族(特に兄)は気付いていないかもしれない)
兄が母へ「結婚を許してやれ」と進言してくれたらしい。
(この結婚話は今の夫ではなく、その前の彼氏の時。結局うまくいかず別れたけれど。夫の時もさんざん反対された)
母から可愛がられた(と私には見える。兄への悪口は聞いたことがないので)兄も思うところがあったのだろう。
「あれはダメ、これもダメ」「ああしなさい、こうしなさい」
「自分が正しい」「子どもの事が心配だから」
そうやって がんじがらめにして、子どもは親の所有物ではない。
心配する気持ちも解るし、苦労しない道を歩かせたい気持ちも解らないでもない。
でも子どもには子どもの意思がある。
操り人形ではないのだ。
私には子どもがいない。
これは子どもが出来なかったからではなく、私の意思で産まなかったのだ。
(※夫には結婚前に「子どもが欲しいなら別の人と結婚して」と了解を得ている)
虐待は遺伝する。
私は精神的な虐待を受けていたと感じている。
肉体的虐待は目に見えるから傷ついていることが傍目にも分かるけれど、
精神的虐待は目に見えないから周知されない。
実際、友人にも「○○(私)は親に愛されてるよ」と言われたことがある。
(自分の親のことは恥部だと思っているから誰にも話したことはない)
やりきれない。
負の連鎖を断ち切るため、「子どもを作らない選択」をしたのだ。
ちなみに兄夫婦の所にも子どもはいない。
身体的なことが原因かは聞いたこともないし分からないけれども(兄嫁は保母さんで二人とも子ども好き)、
一生 孫を抱くことのない母は今、何を思っているだろうか?