小林太郎と商業音楽と芸術 | From Rabbit House

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好きな音楽や日々の暮らしを
思うまま感じるまま。

4、5日前に『ひとり小林太郎祭り』を開催していたのですが(←YouTubeの動画をほぼ全て視聴)

 

 

 

やはり彼のような逸材埋もれている状況ってのは、至極 残念というか日本の音楽業界(否、小林太郎を聴いてない日本人)マジ、クソムシ(『惡の華』公開おめでとう)

 

そういう私も音源持ってないしライヴを観たことがない大クソムシだけど(こっちでライヴ演ってないのかな?って調べたけど演ってなかった・・汗)

 

 

先日『キセキ‐あの日のソビト‐』(GReeeeNの結成秘話みたいな映画)を観て、

 

まさにアマチュアからプロになることの厳しさ

 

(売れる音楽(POPS)を作らなきゃいけない

 

大衆に迎合しなきゃいけないというジレンマ)が描かれていたけれど

 

 

(例えば米津○師なんて意識的に「売れる曲」を作っていて(理論的にどうすれば売れるかが解った上で)、

それが彼のやりたいことかは別として実際に売れている成功者。

 

恐らく、あい○ょんとかも そうだと思うんだけど。

で、実際にそれらが流行っている(それしか流行らない)という日本(現実)がダメなんだと思う)

 

 

小林太郎もメジャーにいってからは そうなのかな(葛藤してるのかな)と、ずっと思っていました。

 

 

↑の『Jaguar』なんかは昔の感じが戻ってきたな・・と思って調べたら、昨年から自主レーベルでやってるんだね。

 

恐らく彼はファンが求めている物も解っていただろうし、本当に自分の演りたい物を書きたかっただろうなと。

 

やっと自分の演りたいことが演れるようになって、本当に良かった(これから大変だろうけど)。

 

 

結局プロ(メジャー)ってのは会社に求められる物を仕事としてこなさなきゃいけない。

 

じゃなきゃ、ずっとアマチュアでやってろってこと。

 

結局は商業音楽なんだよね、消費されるだけの。

 

 

音楽に限らず芸術やってる人ってのは、その葛藤が大きいんだろうなぁ。

 

「芸術家に好きな事をさせてあげたい!」ってなると、やっぱりパトロンなんかが必要になってくるんだろうね。

 

 

好きなアーティストの音楽を存続させるためには、音源を買ってグッズを買ってライヴに足しげく通うしかない。

 

ある意味ファン=パトロンとも言えなくもないけれど太客(お金をジャンジャン使えるお金持ち)じゃないとなかなか難しいだろうし、分母を増やすしかない。

 

今も昔も変わらないし、ずっと普遍的なテーマなんだろうな。

 

本当の芸術ってのは、お金の匂いのないところにしか転がってないのかもしれない。

 

 

で、関連動画に何故かミッシェルがあって

 

(アベが死んで、もう10年なんだな。ミッシェルを解散してからの彼を思うと泣けてくる。

 

彼もまた小林太郎とは違うけど自分の音楽を演る場所を失ったギタリスト)

 

久々『世界の終わり』を聴いた(観た)ら

 

 

こんなのがあってビックリ!!

 

長くなったので つづく・・・