昨日ラジオから流れてきた『飽和』で久々に小林太郎を思い出しました。
かっこよすぎ。
声も歌詞も曲もギターもリフも弾き方も全部いちいち かっこいい。
フライングVってのが、またいい。
小林太郎って名前が、すごく普通でいい。
でも、この曲を聴いた当時 他の(YouTubeに上がっていた)ものを聴いたのですが、あんまりピンとこなくてCDを買うまでには至らなかったのですが。
最近は どうなってるんだろう?って、また動画を漁ってみたら(↓最近のでもないけど)
んー、違う。
やっぱり違う。
こんなんじゃない。
これは別のかっこよさだ。
別に小林太郎がやらなくても他の人に任せておけばいい。
確かに相変わらずギターはかっこいいし、メロディも良いけど。
売れ線狙った曲じゃないですかー。やだー。
(『飽和』も売れ線っちゃ売れ線だけどね)
もっと、がなるように歌ってほしい。
愛だの恋だの、そんな言葉は聞きたくない。
本人の意思で変わったんなら仕方がないけれど、周りの大人が変えたんなら もったいないなぁなんて思うわけです。
メジャーにいけば売れる音楽を作らなきゃいけない。
それは仕方のないことだけれども。
小林太郎をもってしても、仕方のないことなのか。
こんなに才能があるのに。
やっぱ、こういうのが良いね。
ずっとグランジで。
ずっとカートで。
ずっと同じで居続けるのは、やっぱり難しいんだろうか?
日本でグランジは根付かないんだろうか?
受け入れられないんだろうか?