先日、数年ぶりに某神社へお参りに行ってきました。
縁起のいい『一粒万倍日』でも、巳の日でも虎の日でもありません。
――久しぶりに行ってきたいな。あの神社へ。
前日、ふとそんな考えが頭に浮かんだのですよね。いつもなら、なんの躊躇もなく「思い立ったが吉日。行っちゃえ!」と、勢いのまま駅に向かっていました。
でも、今のわたしはここ半月、完全無職。この先の就職の見立てもありませんでした。来月25日の収入がこのままではゼロです。
――行ってきたい。「おいで」って神さまに呼ばれているような気がする。だけど……。
悩んで悩んで、迷って迷って。そうしたらね。
――「なんとかなるよ。大丈夫だよ」
そんな声がわたしの内側から響いてきたんです。
その声を受け取った瞬間、思わず苦笑いしてしまいました。
「『なんとかなるよ。大丈夫だよ』って言い続けてきた結果が今の惨状なのに、この期に及んでなおもあなたは……」
そう、あれは、今は亡き夫の声。多分きっとそう。だって彼の口癖のような言葉なんですもの。
苦笑いした瞬間、嘘のように気持ちが晴れて、想いが固まったんです。
――そうだよね。大丈夫だよね。明日、行ってこよう。それでいい、それがいい。
だから。行ってきました。電車を乗り継いで、大好きな二つの神社に。
それぞれの神社でお札を授かり、幸せな気持ちに包まれながら帰宅。お札を神棚に上げるため、袋から出して刹那、事件は起こりました。
――え!? 嘘でしょ???
なんと、うちにお迎えしたかった神さまではない神さまのお札が入っていたんです。
驚きました。なんということでしょう。悔しくて悔しくて悔しくて。
悔しかったのは、お迎えしたかった神さまではなかったからではないんです。
授かり所で巫女さんに忠告されていたんです。
――……ですけれども、いいのでしょうか?
――ああ、そうか。巫女さんがおっしゃっていたのは、これのことだったんだ……。
実はあのとき、前半部分が全く聞こえていなかったんです。
後半の「ですけれども、いいのでしょうか」だけは、はっきり聞こえていて。
聞き取れていないけれども「そんなに大したことではないだろうな」と思い、「大丈夫です」と自信を持って答えてお札を受け取っていたのでした。
まだ使ったことありません。やっぱり勇気がいりますね。ヘルプカードを表示するのは。
でもこれをお守りがわりに。
聞こえていないのに聞こえている振りをすることはもう絶対にしまい。
お札違いという過ちが、わたしにそれを教えてくれました。
あの日あのとき、無職だけれども神社に行って本当に良かった。呼ばれているような予感、当たりでした(´▽`*)
それでは、また。
あっという間に日付が変わりそうなこの時間に、投稿(#^^#)
これから流れてゆく時間が、久しく穏やかで温かなものでありますように☆彡☆彡☆彡

