ともあれ出場メンバーも決まっていき、楽曲と練習法の研究と自身の楽器練習に時間の全てを使う日々。

 

 

とうとう7月に入り地区予選目前になったが、相変わらず新たな指導者はいない。…と思っていたところ、元コーチが暫定で面倒を見てくれることになった。

 

この辺りは大人同士の世界で色々あったようだけど、当時の俺たちにはよく分からなかった。

 

 

 

ただずっと後になって本人に言われたのが、俺がフルスコアを作った一件で、はじめてコイツは大したヤツだと思ったそうだ。それが理由の全てでは無いと思うけど、コーチが戻ってくる理由の一つではあったらしい。

 

他の理由で結局は戻ってきたのかも知れないけど、アレが無かったら合奏どころではない事も含めて、大きな意味があったと自分を慰めている。

 

それをやるまで、大したヤツだとは微塵も思われていなかったことは置いておく。若干の悲しみを覚えるが。

 

 

 

しかし、幾らなんでも時間が無さ過ぎる。冷静に考えればコンクールで勝つなど無理だ。

 

 

 

 

そしてコンクール当日を迎える。俺は心の底から、やれる限りのことをやったと思っていた。

 

本番の演奏の出来はよく分からない。

 

 

 

表彰式、案の定というべきか、無情にもと言うべきか、俺らは銀賞だった。終わったのである。

 

初めて膝から崩れ落ちるという体験をした。