全員が一丸になることは難しく、焦りを覚えることも多い日々だったけど、時間は容赦なく流れる。

 

 

ぼちぼちコンクールの出場メンバーを確定させないといけない。しかし相変わらず指導者はいない。

 

その頃には、どうにもならなくなったら顧問を指揮台にあげて、自分は演奏者として出たいと考えるようになっていた。平身低頭でお願いすれば、顧問に引き受けてもらえる確信はあった。毎日練習してきたのは演奏するためだし、最後はやっぱり雛壇の上に居たかったのだ。

 

 

 

というわけで自パートのメンバーを確定させる必要に迫られたのだが、ここで俺は迷走する。勝利至上主義に染まることができず迷い続ける日々が続いた。

 

ウチのパートからは4人選出することになっており、単純に力量だけで判断するなら難しい話ではない。だけどそこは高校生で、これまで一緒に積み重ねた過去を思うと実力だけでバサッと割り切ることができない。

 

3年生は4人いたが、一人は早々にコンクールに出ないことを表明していた。俺ともう一人は順当に選出。4人目の3年生女子について俺達は悩んだ。彼女が出るか、2年生が出るか。

 

 

 

とても悲しいことだけど、世の中には楽器の才能が無い人は一定数いる。吹奏楽においては、例えば唇の質や形だったり歯並びの良し悪しだったり、或いは呼吸に関する何かだったり、色々な要因で左右される。

 

練習すれば誰でも上手くなるけど、同じ程度に上手くなるための必要練習量が違うというか、経験値テーブルが違うというか。どうにもならない現実がある。

 

実は俺自身が楽器の才能が無い子だった。大学の時には先輩に「こんなに練習してる割にあんま上達しないな」と豪腕ストレートもといデッドボールを投げ込まれたことがあるし、面倒見てもらったことある海自音楽隊の人にも「すごく練習してる音だってのは分かる」と言われたことがある。その意味する所は…察してほしい。

 

 

どちらかと言えば"出来ない子"に属している俺にとって、そういう子にはシンパシーを感じてしまうのだ。その3年女子は、俺と同じで出来ない子だったんだ。

 

同じ出来ない子の中でも差はあるもので、俺は比較的どうにかなる側だったが、彼女はそうではなかった。そのことを彼女自身が誰より理解していて、誰より頑張って練習していた。

 

1年生の頃、そういう彼女を見て好きになった。しょうがない、だって高校生だもの。そんで付き合って、2年の途中で別れた。よくある話に見えるけど、別れるキッカケが後輩への指導の仕方で対立したことなのは高校生らしくない。

 

 

そういう経緯があって3年生のコンクールに向かっている。勝ちに徹するなら答えは決まっている。彼女を外す以外に無い。ちなみに本人は出たいとは言わなかった。言えなかったのだと思う。

 

 

それまで勝ちたいとばかり思っていた癖に、馬鹿な俺はどこまでも迷走する。考えた末、俺は彼女に「一緒にコンクール出ないか?」と言っていた。

 

なんという自己矛盾。揺れる10代感が凄い。

 

 

 

結局、彼女はコンクールに出ない選択をした。心境を思うと、今振り返っても胸がチクチクする。