コンクールの自由曲の選曲に困った俺ら。
数日のうちに元コーチの都合がついたので、夜分にお邪魔した。案の定、コーチは幾つか腹案を持っていたので、その中から選ぶことにした。
選んだのは、とあるクラシック曲の吹奏楽アレンジである。
どうにか選曲については目途が立ったわけだ。後は顧問と楽譜担当に話して楽譜を購入すれば済む。
けれど、もう一つの重要課題である新たな指導者についてはお手上げ状態だった。
OBの先輩が仕事の片手間に指導するには、コンクールは重すぎると今なら腹の底から理解できる。むしろここまでよくぞ指導してくれたものだと、こうして文章を書きながら元コーチへの感謝の念を抑えきれない。
という現在からの感想はともかくとして、当時の俺らは暗中模索の五里霧中である。外部から招聘するなら契約という話になるので、高校生だけではどうにもならない。
ところで"ワタシ"は、時に合理性をまるで考えない無鉄砲な行動に走ることがある。奇行と言っていいかもしれない。そういう自分を知っているから、"ワタシ"という表記をルーチンにして冷静という型に嵌めているのだけど、あの当時も無鉄砲だった。
俺はごく単純に考えた。「誰もいないなら、俺がやるしかない」
もはやアタオカを疑うレベルの無鉄砲である。綺麗な表現を使うなら、感動を伴うレベルの無鉄砲と言い繕おう。
コンクールにおいて、学生指揮者がタクトを振るうというのは勝負を捨てたとしか言いようが無い。もしかしたら例があるのかもしれないけど俺は知らない。そもそも指導力不足が甚だしい。
指揮者の格というか佇まいというか風格ってのも審査に影響すると言われていたので、学生が指揮をするというのは=負けなのだ。変な例えだが、キラキラネームと普通の名前の子が審査に残ったら、キラキラの方が落とされるようなものだ。
だが高2と高3の狭間にいる俺は、そんなことは知らない。知らないからこそ、「なら俺がやる」と言えてしまったのだ。本番までに指揮者が見つかればお願いするが、ダメなら自分でやると。
おそらく当時の俺は合理的に考えたつもりだったはずだ。誰も合奏を指揮しなければコンクールには挑めないし、誰も指揮を振らなければそもそも参加できない。だったら、俺が何者であろうと、ただの高校3年生であろうとやるしかないではないか。俺はどうしても勝ちたかったから、不戦敗になるわけにはいかない。
この辺り、理屈を超越して自転車で北海道に走り出してしまう自分と地続きなのだと思い知らされてしまう。
この合理的なんだかよく分からない考えによって、ひとまず指揮者問題を棚上げして、曲の練習に勤しむことにしたのだ。部長や副部長(俺)ら高3になりかけの少年達に引きずられる吹奏楽部を不憫だなと今は思う。みんなが内心でどう思ってたかは知らない。
ともあれ、戦いは始まったばかりである。
つづく