というわけで、コンクールに向けて始動という時に指導者がいなくなった俺らの吹奏楽部。

 

春に凄腕の指導者が来て憧れの全国大会へ~という、何処かで聞いたサクセスストーリーの真逆を行くことになったわけだ。

 

 

 

もっともウチの部は県大会に行けたり行けなかったりの当落上をうろうろしているレベルだった。金賞とダメ金の狭間ってやつだ。

 

俺らが1年の時は先輩方がA部門で銀賞、2年の時は俺らも出てダメ金だった。当時の俺は副部長だったので表彰式で舞台に上がったんだけど、「〇〇高校吹奏楽部…金賞!」という発表を聞いたときは、頭の中にファンファーレが鳴って喜んだ。今でもそのファンファーレは口ずさめる。

 

しかし県大会行きの高校の発表で、俺らの高校名はすっ飛ばされた…所謂ダメ金である。あの天国から地獄への急降下爆撃は今でも忘れない。

 

それ以上に先輩たちの涙を忘れないし、来年こそはと託された言葉を忘れなかった。

 

 

ウチの部は男子も結構多くて各学年に8人くらいいた。基本的な礼儀はあれど、嫌な意味での先輩後輩の縦関係というのは無かった。振り返っても「おまえら仲良いな」という感想しか出てこない。女子の先輩にも結構可愛がられ(弄られ)ていた。

 

俺らは先輩たちが大好きだったし、だから最後のコンクールは絶対に勝ちたいと思った。

 

 

・・・という矢先に指導者がいなくなったのである。

 

 

 

俺と部長ら数人は、春休みのうちにある程度の解決を目指そうと考えた。といってもただの高校生に出来る事は少ない。

 

少ないんだけど、当時の俺らは必死だった。俺らが動かないと何も動かせないと思っていたんだ。今思えば滑稽なんだけど、必死の俺らは部長の家に泊まり込んで選曲会議を行ったのだ。互いの家に泊まることはよくあったので、親達は何も言わなかった。

 

幸いに過去2年間の経験で選曲の際に留意することをある程度は知っていた。簡単に言えば、部の中で強いパートを活かせる曲、弱いパートの負担が軽い曲である。

 

課題曲は4曲の中から1曲を選んで演奏するので、絞り込みは簡単だった。

 

 

 

 

問題は自由曲である。

 

これはあまりに難しかった。なにしろ選択肢が無限と言っていいほどにある。何が俺らのベストなのかが分からず、途方に暮れたのだ。

 

一晩中意見を交わしたけど、何も進まなかった。朝になって部活に行く時間が来たので選曲会議を終わりにし、俺らの手には余るので元コーチに相談してみることにした。何か腹案があったのではないか?と思ったのだ。