新たな年度を迎えて、コンクールに向けて本格的に動き出す吹奏楽部も多いだろう昨今。

 

コンクールについては、たまに思い出すどころではなく、常に心の何処かにくっついて離れない記憶がある。いつか記憶を文章にしようと思っていたけど、今からそれをする。

 

一人称は当時の自分に従って「俺」にする。いつも「ワタシ」という面倒な表記にしてるのは、「私をワタシに文字変換すると冷静になる」っていうルーチンを仕込んでいるからなんだけど、敢えて無視する。

 

 

俺らの吹奏楽部は3月に定期演奏会を行って卒業生を送り出してから、コンクールに向けて動き始めるタイプだった。世間には秋に定演をやるところや、その演目がコンクール曲を兼ねるところなど千差万別なんだけど、うちは春休みに選曲をしていた。

 

 

 

 

高2から高3になる直前の春休みに突然コーチが辞めた。

 

 

 

指導者・指揮者がいなくなったわけで、俺らは動揺した…というより右往左往、七転八倒、阿鼻叫喚という方が合っている。

 

コーチといっても外部から招聘してるのではなくOBの先輩であり、日頃から親しくしていた人だった。元コーチに事情を教えてもったところ、仕方のないことだと俺らは割り切ることにした。

 

顧問の音楽教師はいたけど、部の指導は全くやらない人で、音楽室の鍵の管理や、部費など学校との折衝をやってもらっていた。それでもみんなが感謝していたのはOBの方々の薫陶が大きい。大人になると部活の顧問というのが、どれほど大変なのかも分かるので、改めて感謝の気持ちが湧いてくる。

 

そういう具合だから、コーチが辞めたという事態にあって、俺らに顧問を頼ろうという発想はなかった。冷静に考えてみると、最初に相談すべきは顧問のはずなんだけど、何故か当時は誰もそれを考えもしなかった。

 

3年生のコンクール、つまり最後のコンクールに向けた活動は波乱の幕開けとなったわけだ。

 

 

俺は2年生の時から副部長と学生指揮者を兼任していて、コンクールが終わると晴れて引退になる予定だった。学生指揮者ってのは、文化祭など学内での行事や小さなイベントで合奏を指揮する。定演やコンクールなどの大きなものでは演奏者側である。つまりは部員の中での音楽監督みたいなもんだ。

 

 

 

早急に解決すべき問題は、新しい指導者とコンクールの指揮者をどうするかと、コンクールの選曲である。

 

 

 

 

 

つづく