キッカケは源義経=チンギスハンという昔からある俗説だった。たぶん大河ドラマの関係で見たのだと思う。
義経は天才戦術家ではあったけど、組織を作る能力も無いし、政治的センスに至っては今どきの中学生の方が上だと思うくらいに酷いので、チンギスハンというのはあり得ないなぁと、改めて思った。
そんなこんなでチンギスハンについて思い返したことが、ある時代において主役を担う民族について考えることになった。
今日の意味での「世界」は、大航海時代を経てヨーロッパ世界がアメリカ大陸と繋がった時に成立したと思うので、それ以前のチンギスハンはちょいと違う気もする。けれどユーラシアを股にかけ、その版図の広さは後の大英帝国とトップを争う程だから無視もできない。
チンギスハンに始まるモンゴル帝国が世界を席巻できた理由という話題では、モンゴル人の乗馬術や騎射の巧みさが挙げられることが多い。そのとおりと思うけど、モンゴル軍の主力は8万と言われ、広大な土地を支配するには足りない。チンギスハンの軍事組織の作り方、統治政策の巧みさなどの天才性が要だったと思う。
ただ、この騎射技術が無ければ、チンギスハンと言えども飛躍出来なかったと思うので、やはり民族として騎馬に長じていたことの影響は大きい。これが時代の主役になり得た最大の理由かと思う。
モンゴル人にとっての幸運は、軍事において騎射が絶大な威力を誇る時代に、チンギスハンという組織づくりの天才を擁したことなのだろう。
そんで次に大航海時代を考えた。
これはスペイン・ポルトガルの圧倒的な二強である。どうして彼らは大航海時代に世界を席巻できたのか。
これは想像でしかないんだけど、冒険的精神の為せる業だと思う。未知の海に向かって帆船で漕ぎだすというのは、途方もない勇気がいる。「板子一枚下は地獄」という言葉も日本にはあって、つまりは蛮勇と言ってもいい。地に足の着いた政策を考える人間には文字通りに実行できない代物だ。
この点でラテン民族は適材だったのか。彼らの勇気と冒険心は、その危険と恐怖を軽々と乗り越えていった。
そうなれば、先に広がるのは手付かずのフロンティア。スペイン・ポルトガルが世界を分け取りにするような繁栄を見せたのも不思議はない。
彼らの図抜けた勇気と冒険的精神が、彼らをこの時代の主役にしたのだと思う。
そんなスペインもイギリスとの争いに敗れ凋落。海の支配者がスペインからイギリスに移行することになった。
この辺りは全く詳しくないので、適当に斜め読みした内容による。どうも当時の海戦においては戦術があまり無かったらしい。
私がイメージしたのは、「スペイン艦隊」と呼ばれているが、それは船の集合というだけで、部隊の集まりではないこと。日本風に言えば、各艦は「やぁやぁ我こそは~」の一騎武者であり、後の近代的な軍組織とは全く違うということ。
対するイギリスはそうではなかった。何が凄いかって、船足の速い艦艇を揃えていたこと。それによって、アウトレンジからの砲撃を徹底的に行えたこと。それを可能にした各艦士官の状況判断の鋭さと、水兵の練度の高さも挙げて良い。
そのうえ指揮官のハワード卿が、大胆な火船戦術を使いスペイン艦隊の陣形を崩壊させたこと。
物事を緻密に考え、最適な部隊運用を実現するための準備をする。「かくすればかくなることと知り、それを実行して勝つ」
やむにやまれぬ大和魂どころではなく、実際家の軍人的思想を貫き、見事に勝利を収めたわけだ。こういう物事の捉え方と実践こそが、アングロサクソンが得意とするところなのだろう。
こうして時代の主役はイギリスに移っていく。