いんたーねっとはべんりだな。
日本学術会議の会員が、公選制から推薦制に変わった話を調べると、簡単に情報が手に入る。僅か10秒で1983年5月12日の参院文教委で審議があったと分かっちゃうから便利だ。
この審議についても色々意見があるようだけど、そういう前情報要らねぇからと無視して、国会会議録検索システムを召還する。日付と委員会入れるだけで速攻で議事録をゲット。マジで便利すぎるだろ。
この5/12の審議の中から当該の箇所を探す。ああ、これはちょっと大変だ。「公選制」「推薦制」のワードじゃ該当が多過ぎる。
意外な事実も発見。みんな会員になりたがらなかったのか。
実際に二百十名の会員、順次出ておりますが、そのうち純粋に立候補で出てきた方は十五名、七%だけである。こういった点を見ても、選挙というのは形骸化していて、いわゆる理論的な民主主義というものを考えましても、果たしてそれが満たされているのかどうか
立候補すくなっ!
これはなるほど公選制が限界に来ていたことが分かります。お手当と仕事量が割に合わないんでしょうかね…霞ヶ関は日本最大のブラック企業と言われるくらいだから、さもありなん。
つまり、当時の会員はほとんど罰ゲーム扱いだったようだし、立候補が7%ということは、既に実質的に推薦制になっていたも同然だったわけだ。
そして、あったあった。
粕谷照美君
学術会議の会員について(中略) いままで二回の審議の中でも、たしか高木委員の方から国立大学長の例を挙げまして御心配も含めながら質疑がありましたけれども、絶対にそんな独立性を侵したり推薦をされた方を任命を拒否するなどというようなことはないのですか。
「推薦をされた方を任命を拒否するなどというようなことはないのですか。」・・・気持ちいいくらいの直球。そうそう、ここが分かれば一発解決。
政府委員(手塚康夫君)
前回の高木先生の御質問に対するお答えでも申し上げましたように、私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。
ちょいと長いですが、全てが核心に繋がってるのでカットできず。
3度にわたって左右しない、形式的、実質的ではない、と答弁してる以上、他に解釈の余地がない。
というわけで、当時の国会審議では「総理に任命拒否権は無い」と答弁していたことが分かった。この後、何度も形式的な任命行為であると答弁してるので確定で良いでしょう。
つまり、「法7条は形式的任命行為である」というコンセンサスをこの審議で得ていて、それに基づいて改正法が可決成立したわけだ。
…これは揉めるわけだ。
おらなんか頭痛くなってきたぞ。
菅総理や官房長官は「法律に基づいて任命を行っている」としてるけど、とうの改正法審議の内容とは全く違っていて、可決成立するための解釈の合意が勝手に変更されてることになってる。
ここが問題の肝か。
歴代政権が解釈変更の何らかの手続きを行い、それを公にしていれば話は違ったろうけど、そういう情報は出ていないし、そんな事実があれば菅総理は提示しているはず。それが無いということは無いのだろう。
現時点の情報を並べてみると、菅さんがやったのは
「改正法成立の基となった国会答弁の内容をいつの間にか変更していた」
これが罷り通ってしまうと、何を答弁しても後で総理の一存で答弁内容を変更できて、国会審議が有名無実化してしまうのでアカンな。何らかの納得性のある手続きを踏んでればとは思うけど、それが無い以上ちょっとマズイですね、これ。
手続き的には菅さん側の落ち度が大きいと言わざるを得ないかな。なんか色々叩かれそうな結論来ちゃったけど、調べて考えた結果だからしょうがない。