毎年毎年西軍は負け続けている。暗黒時代の阪神も真っ青の負けっぷりだ。 

 

 どうすれば西軍が勝てたかを考えるのは無意味なロマン。その無意味さにも関わらず、ついつい考えてしまうのがロマンの浪漫たる所以だ。

 

 

 

政略・戦略・戦術

 

 大規模な合戦の勝敗を決める要素は、政略・戦略・戦術の3つ。

西軍が勝つためには、この3つをどうにかしてやればいい。

 

 

■戦略

 これについては、西軍有利で関ヶ原当日を迎えたように思う。なんせ徳川秀忠率いる別働軍が真田昌幸のせいで大遅刻確定で遊兵になってますし。

 

 秀忠は「真田を撃破してから畿内に来い」と言われてたという話もありますけど、どっちみち真田のおかげで大遅刻したので戦略的なマイナスがでかい事に変わりはないかな。

 

 兵糧補給を考えても細川忠興や黒田長政、蜂須賀ら西国に封地を持つ連中は限度があったろうから長期戦は無理だし。会津遠征の状態でいる東軍の方に短期決戦の必要性が強かった点も、西軍に利があったと思う。

 

 主力の対陣が長引いた場合、東軍所属の西国大名はヤバイことになるし、東国でも伊達政宗なんかが何をやらかすか分かったもんじゃないから、東軍に長期戦は無理だと思う。逆に西軍の方は長期戦になる=意外と家康も大したことないって事になるんで、三成や輝元の声望が高まる結果になって有利に働くと思うし。

 

 個人的には、そういう東軍側の長丁場は無理な状況が、関ヶ原本戦でのダメな布陣に繋がったと思っています。家康は様々な政略の手を打ったのに、最後の詰めで博打を打つ必要が乏しいと思うけど、短期決戦の焦りがあったとすれば腑に落ちるなと。

 

 

 

■戦術

 西軍有利と思われ。なんせ松尾山、笹尾山に天満山という地の利を占め、東軍を反包囲する形を取っている上に、南宮山も大軍で占拠して東軍の背後を突ける形。

 

 小早川秀秋の裏切りのタイミングは諸説あるけど、"開戦直前"について言えば、小早川勢が西軍だったことは間違いなく、反包囲の態勢は崩れず、戦術面での優位も崩れない。

 

 

■政略

 これダメ。ダメ、絶対。

 

・小早川の動向が怪しいんですけど

・南宮山の連中、特に毛利宰相と吉川の動向がなんかアレなんですが

 

 

 要するに西軍が勝つためには「政略」で東軍を上回るか、せめて五分にしないとダメだと思うので、ここをどうしてくれようか。