人の死に関わる重たい件が発端なので、苦手な方はバックしてたもれ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで最終日。正確には青森で泊まって翌日フェリー&飛行機で帰宅なわけだが。

 

 

 

 

 早朝に盛岡を立つ。この冒険を始める前から最も警戒していたエリアである。なんせ岩手から青森にかけては山ばっか。ほんとのほんとに山ばっか。

 

 いわて銀河鉄道の駅付近や牧場の案内看板を横目に北上。二戸の辺りが国道4号の最高地点(458m)らしいが、体感ではその先の五戸や十和田市の方が辛かった。これは単に疲労度の問題かな。

 

 航空写真を見てるんだけど、ほんとにエグイ。

 

 

 十和田湖や奥入瀬の案内があったと思うんだけど、平時ならともかくこの状態で行く気にはなれない。

 

 

 

 十和田市に入り、開けた一帯を走るうちに、間断なく続くアップダウンによってワタシはとうとう限界を迎える。

 

 今でもそのことはハッキリと覚えていて、十和田から七戸に入る辺りの登り坂でワタシは気を失った。おそらく10秒にも満たない時間のはずだけど。

 

 

 気を失った事を覚えてるって変な言い方。

 

 

 「自転車漫画で気絶してもペダルを回し続けるって描写あったけど、あれって本当なんだな」と思った。

 

 自転車を押して歩くという選択肢もあったんだけど、その頃には長時間のペダリングのせいで両足のかかとが人生初の靴擦れを起こしていて、立って歩くことができなかったし、両膝の痛みも自転車に乗ってるから耐えられるだけで、地面に降りて全体重を受けたら無理。そんなわけで、ここで降りたらもう動けないと思って降りなかった。

 

 

 漫画みたいだけど、そのとき感じていたのは、

 

 

「それでも生きて欲しい」

 

 

 結局のところ、頭の中を占めたほとんどはソレで、このチープな言葉を本当の本物にするためにここまで来たのかもしれないと思った。そこまでしなければ、言葉は本物に出来ないのかもしれないとも思った。

 

 つまるところ、ワタシの苦行はこの感触やら気持ちやらと言ったものを再確認する意味しか持っていなかったんだろう。 けど、それで十分だったかもしれない。だってワタシに出来る事は元々少ない。

 

 

 

 そして遂に野辺地に至る。陸奥湾との対面である。